パラボラアンテナ

Aqous中心のブログっぽいなにか

「今」こそ『かなことさらら』

何故「今」こそ『かなことさらら』なのか

 
 
 
それは忘れもしない2017年5月16日21時の出来事である。
ニコ生公式特番『かなことさらら』初放送。
 
 
 
奇しくもその日は…松尾芭蕉が『おくのほそ道』の旅に出てからちょうど328年後
 
 
我々は『かなことさらら』のある世界へ、突如飛び込むことになった。
それは幸福を約束された大いなる人生の幕開けである。
 
 
 
 
 
声優も 住み替はるぞ かなことさらら
※字余り
 
「なんだかんだ人気声優が固定化してるこの界隈も、新しい声優が定着していく時がきた。それは高槻かなこさんと八島さららさんである」
 
 
 
 
 
さて、そうは言ってもラブライブファンとアイドル事変ファンを中心とした一部のオタクしかまだ視聴していないのも事実。
そこで今回は世界に存在する『かなことさらら』の、ポテンシャル視聴者85億人(2030年地球総人口予測)に向けて、この番組の魅力を紹介していきたい。
 
 
 
 
 
 
 
 
題して
 
『かなことさらら』のココがヤバい
 
 
ここからは文体を変えてお送りします(深い意味はない
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ヤバいところ①:高槻かなこ八島さららがヤバい
 
 
おそらくここにお越しの人は、
高槻かなこさんといえばAqoursの花丸ちゃん
八島さららさんといえばアフィリアサーガやアイドル事変の夏月ちゃん
としてこのお2人を認識しているでしょう。
 
その考えは間違いではありません。
しかし、それだけではお2人の出演歴を知っているに過ぎないのです。
 
では、まずこちらの写真をご覧ください(本人Twitterより)
 
 
 
お分かりいただけましたでしょうか?
なんと2人揃って21世紀レベルの美人なのです。
 
先日発売された某雑誌の美人声優特集に高槻かなこさんが載ってなかったことに私も大変驚き、
職場の階段から池田屋の階段ばりに落ちてしまいました。
もちろん八島さんが掲載されたことについて深い納得があったことはここで付け加えておきます。
 
ともかく「かなことさらら」はクレオパトラも裸足で逃げ出す2人組による番組なのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
当然ですが、外見だけが特別なのではありません。
2人の内面についても私なぞが語るのもおこがましいのですが、少しだけ触れさせていただきます。
 
 
 
 
 
 
まず、高槻かなこさんについてですが、端的に言うとセンスが独特。
 
 
 
 
早速こちらをご覧いただきたい。
 
 

 

オチが哲学的
 
どこまでいっても新しく買った黒のフレアスカートは2WAYなのに、あえて3WAYと言い切る胆力。オチがちゃんと落ちてるか分からないのになぜかじわじわと込み上げる笑い。
 
そもそもこれはネタツイートなのでしょうか。それさえ我々に考えさせてしまう…そんなギャグのセンスも高槻さんの魅力といえるでしょう。
 
 
 
 
 
 
 
独特なセンスはこれだけじゃありません。
 
次にこちらをご覧ください。
 

 

 
お気づきでしょうか?文末についた2つの木の絵文字に…。
木が2つでハヤシを表現しているのかもしれません。
これもまたギャグなのか、それともただ絵文字で表そうとした結果なのか分からないところがポイントですね。
 
 
更にこち
 

 
まさかの連作。
どうやら完全にオムハヤシライスを絵文字で表現しにかかっているようでした。
 
アイドルは確かに手料理アピール!みたいな写真をアップするときがあるものの、
2日連続作り置きした同じ料理をアップする意図が全く分かりません。
でも何故かじわじわくる。このセンス、天才的ですね。
 
高槻さんは既視感という言葉が好きなのであろうか…
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
彼女のセンスが光るのはギャグだけに留まりません。会話もまた独特です。
 
Twitter上でご友人方にリプをとばしていらっしゃることがあるので、是非皆さまにはその目で確かめてください。クソリプとかそういう次元以前の何かがそこに存在しています。
 
あえて今回はこのツイートを紹介しておきます。
 
 
 
 

 

何故友人の「愛しています」に公然猥褻罪で逮捕された国民的アイドルの名前をぶつけているのか全く分からない。
 
 
 
 
 
 
 
 
また、こちらのツイートも掲載しておきたいです。
 
f:id:llscfg:20170624135957p:plain
 
あなたは親友の小森さんをどうするつもりなのか。
 
よりによって初期の王様のセリフをチョイス。
 
高槻さんはサイコロを割って7の目でも出すつもりなのでしょうか?
 
これらのツイートが心に琴線に触れた人に朗報があります。
なんとこのキレのある発言はリアルでも変わらないのです。
むしろ声での表現もつくので更にキレが増すといえるでしょう。流石声優さん。
これはもう是非ご自身の目と耳で確認するしかありません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
続いて八島さららさんの話に移りますが、
その前に先日新しくなった宣材を見てください。
 
 

 
 
八島さんのこの首から肩にかけての曲線、美しすぎではないでしょうか。
私はこれをラインの黄金/Das Rheingoldと呼びたいと思います。
※八島さんはドイツ文学科卒
 
このラインの黄金は私服においてかなり確認しやすくなっているので、
是非こちらも忘れず注目していただきたいです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さて八島さららさんといえば「食」である。
※個人の見解です
 
 
 
プレミアムと聞けば「プレ牛*1
と即答するなど声優界の牛丼フリークとして名を馳せているのが彼女である。
 
松屋フーズさん、コラボ企画お待ちしております。
 
 
 
 
 
またまたそういう営業でしょ?とか思った方、反省してほしい。
 
 じゃあ質問です。誕生日に牛丼にキムチトッピングして喜んでいる声優がいますか?

 

八島さんだけです。

※当社調べ

 

 

 

 

 

このツイートからは恒常的にプレ牛納豆トッピングを食べていることが窺えます。

 

 

 

 

あと突然八島牛丼ミシュランを始めます。

 

 何が安定化は分からないのですが、確かに安定だなと納得してしまう説得力が彼女の

牛丼ツイートにはありますね。

 

 

「牛丼や 腹にしみ入る プレミアム」

※雑

 

 

 

 

 

 

 

また、昨今女性には健康志向のラーメンが流行っているという噂があります。

でも八島さららさんは違います。

 

 

一介のOLなんぞはソロラーメンですら躊躇するのに、

この美人声優は背油系ラーメンに足繁く通っている様子。

はう~からの文体が内容とミスマッチ過ぎて震えます。

 

 

 

 

 クリスマス。世のアイドルオタクは気が気じゃない日ですね。

 誰も信じられない…誰を推したらいいのか分からない…
そんなあなたに八島さららさん。
 

 

頼むからもっと良い鶏肉を食べてくれ……

ちなみにこの後はモンハンのオンラインプレイ相手を見つけられない姿が

観測されております。

 

 

 

 

 

極めつけはこれです。

 若干汚い。

もう最高ですね。隠れた狙いとかそんなものはなく、

ひたすら赤裸々にご自身の食の情報を公開しているだけです。

 
 
 
 
紙面の都合で本当に僅かな情報しかご紹介できませんでしたが、
お2人のポテンシャルは十分に通じたと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ヤバいところ②:スタッフさんがヤバい
 
 
私は決してニコ生をよく観るというわけではないのですが、
「かなことさらら」のスタッフさんは仕事が早いかつ、クオリティが高いです。
 
最初に掲載した写真からも少し確認できますが、まずセットがオシャレかつかわいいのです。
それだけじゃありません。第2回放送ではクオリティの高いテロップをリアルタイムで表示し、
地上波テレビ番組顔負けの仕事でした。
 
数分前に完成した絵を次のアイキャッチで使ったときは、
半端ないなと戦慄した視聴者も多かったはずです。
 
 
また地味な作業にも余念がなく、第1回放送で某ボードゲームを手作りでアレンジして使用していましたが、
おそらく見た目以上に大変な作業だったことが予想されます。
こだわりを感じますね。
 
 
 
そしてこちらの公式チャンネルのトップ画像をご覧ください。
 

ch.nicovideo.jp

 

私はこのデザインがめっちゃ好きです。

番組のかわいくてポップかつわずかに狂気を孕まないでもない雰囲気が

よく表れています。

 

ちなみに右上の服は初回放送時のお2人の私服ですね。愛を感じます。

 
 
 
やはり名番組の裏には名スタッフありということですね。
※ただし番組名は誤植する
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ヤバいところ③:2人の仲の良さがガチ
 
 
そう、予想の20倍くらい仲が良いのです。
 
 
つい皆さんも学校や職場で人間関係を気にしてしまうこと、ありませんか?
 
生きていくうえでは大切なことですが、
つい親しい人にも変に気を遣ってしまったり、友達と遊んでいても気疲れしてしまう場面があるかと思います。
 
 
しかも、気にすればいいのは、自分のことばかりではありません。
あの人とあの人は仲良さげだけど実は仲悪いとか、この人たちは一緒にしちゃダメだとか、たくさんの地雷が人間社会には埋まっています。
 
他人と他人の関係にまで気を遣わないと、周りから空気読めない人間というレッテルまで貼られてしまうことだってあります。
 
 
他人の出す雰囲気を敏感に感じとらないといけないことに、気が気でない人も少なくないでしょう。
 
 
 
 
でも、かなことさららは違います
 
 
 
ノリがマブダチと居酒屋で変に盛り上がったときのそれです。
2人の距離感と会話の内容がそれを物語っています。
 
色んな番組とか観てると、
いまこの人の発言で他の人はどう思ったのか…だとか、あっこの人いまこの人に気を遣ってるんじゃないかな…、
みたいな心配がふと出てきてしまうときがあると思います。
 
 
しかし「かなことさらら」ではそんな現代の呪縛から解放され、心から2人の絡みを楽しむことができるのです。
 
 
高槻さんの独特な会話のテンポやギャグはその他の番組でも健在ですが、
やはり八島さんと一緒だとアクセルの踏み方が違います
 
そして八島さんも高槻さんのテンポをよく分かっているし、ギャグの拾い方が絶妙なのです。
 
 
 
また八島さんもリアクションというか動きがなかなか特徴的でそれもが魅力なのですが、
なかなかそれを活かして上手く乗っかれる人がいない印象がありました。
 
でも「かなことさらら」では違います。
 
高槻さんも八島さんの動きを分かっているのか、テンションに不自然さなく番組が進んでいきます。
心なしか八島さんの動きもいつも以上に楽しそうです。
 
 
 
本当に仲が良いからこそ飛び出る自由奔放さと、絶妙な掛け合いを、
我々は余計なことを気にせず楽しめるのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ヤバいところ④:隠し事をしない番組
 
初回放送冒頭からその片鱗はありました。
いきなり高槻さんが、酔うと八島さんの1人称が「ちゃぴ」になると暴露した瞬間、
我々は「この番組…一味違うぞ…!」と唾をゴクリと飲み込みました。
 
その後も1回放送2回放送と変わらず、
声優、若手、アイドルという属性を持つ2人があらゆるコンプライアンスを裸足で踏み抜いていきました
 
 
Aqoursメンバーの某職人が自身の番組で、声優としてもう少し上手くやっていきたいというガチな悩みをこぼしていたにもかかわらず、
この2人は業界について「陰キャラが多い」とぶっちゃける始末です(本当に言って良かったのか……?)。
 
 
 
1回放送では手料理を腐ったまま放置してる事実を喋ったり、
高槻さんがまさかの漫☆画太郎ネタを披露。
2回放送では八島さんが「コーナーで差をつけろ」とオタク構文をぶち込んできました。
 
 
しまいには「重大発表:結婚」ネタを平然と使い、この人たちは本当にアイドルとして活動しているのか???と
視聴者を混沌の底に叩き落とします。
 
このネタの流れから番組のレギュラーラジオ化を発表するもんだから、何人かのオタクは処理落ち待ったなしでした。
 
 
 
全体的に自由すぎてまだまだ語りつくせないのですが、本当にギリギリすぎて何度見ても笑える番組となっています。
 
 
 
また隠し事はしないというコンセプトより、
月額540円のチャンネル会員料にて番組の運営費が賄われるという発表もありました。
 
なんと入会すると、
・今後の放送をほぼノーカット動画付きで観れる(ラジオは30分に編集されたもので映像もない)
・過去の放送だって視聴できる
・かなことさららのチャンネル会員になれる
という月額数万でもお釣りがくるような特典がついてきます。
 
 
これは入会するしかありませんね。
1アカウントにつき1回しか入会できず歯がゆい思いをする方もいらっしゃると思いますが、
今は耐え忍びましょう。火影になるには大切なことです。
 
 
まだ入会していないという、地球の公転が逆になったみたいなミスをしてしまった方は以下からどうぞ。
 

かなことさらら(かなことさらら) - ニコニコチャンネル:アニメ

 

 

 

入会すると第2回後に放送された30分ちょっとの映像を見ることができます。

DIVA高槻の誕生や、バンジーをやらされたり「ちゃぴ」を晒されても大丈夫だった八島さんがガチ放心するマジでヤバい放送です。

 

1か月は笑えます。笑い慣れてないせいでアゴ外れたという声も私の脳内でありました。

 

 

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さて、簡単ではありますが、「かなことさらら」の魅力を紹介してきました当記事も終わりが近づいてきました。

 

いかに現代社会で心が錆ついてしまった我々にとって、救いとなる番組か、少しでも伝わったのであれば幸いです。

 

あまりに番組が情報過多過ぎて(三重表現)、私の文章力抜きにしてもなかなか文字では伝わらない部分も多いのではないかと思います。

僅かでも興味をお持ちいただけたのであれば、是非番組バックナンバーをご覧ください。

 

魂が救済される音がします。

 

 

 

 

 

限界オタクの かなことさららに 行梅雨ぞ

 

「限界オタクの心が かなことさららに向かうときがきた。それは梅雨が去り眩しい陽光が射すかのようだ」

 
 
 
 
 
 

*1:松屋のプレミアム牛丼のこと。美味。

Aqoursのユメ

つい先日、ラブライブ!サンシャイン!!の一挙再放送があった。
Blu-rayがあってもスケジュールを立てるのに相応の気合がいるせいか、なかなか1話から全部連続して見直すということはなかったので、
こうして改めて連続視聴することで新たな気づきもあり、大変楽しめた。
そして観る度にいつも思う。なぜ彼女たちはいつもあんなにも眩しいのだろうか…。

 

Aqoursの「夢」のリアル」

Aqoursのやりたかったことってなんだったんだろう?」
たまにネット上で見かける疑問の1つだ。
確かに全体を通して「輝きたい」というテーマは分かるけれど、
内浦への想い、μ’sラブライブとの関係等で実際問題として
彼女たちの哲学がぼやけてしまうのかもしれない。
ただ、そんな分かりにくさが私にとってラブライブ!サンシャイン!!を
一段と魅力的なものにしたのだと思う。

考えてみれば人の夢は動機と必ずしも1対1の関係では結ばれず、
また目指すものやアプローチが常に同じなんてことは
きっとないだろう。
別にこれは、人は誰しもブレる、という話ではない。
私は、人の願いについて本質こそ簡単に変わらないものであり、
目的地の姿や通ろうとする道筋が変わることは、
決して迷走ではなく、成長の証だと考えている。
自分が本当に至りたい場所を見つけるのに必死になれるのは
青春時代ならではの無謀さではないだろうか。

意図してかどうかは分からないが、そんなリアルさがこの作品にはあった。
他人の夢の全貌がすぐ分かるほど人間は単純じゃないし、
高校生の夢の外見はなかなか一定じゃない。
だからこそ感覚的に我々は1人の女子高生として
彼女たちを受容し、
そして熱いナニカを受けとったのではないだろうか。
13話を通して千歌、そしてAqoursのひたむきな青春は、
ノスタルジーとはまた違う、記憶と感情の奥にある情熱を
引き起こすような力が確かにあった。

しかし、やはり彼女たちのファンとして、
より明確にその想いを受け取りたいという気持ちからか、
あるいはより彼女たちを理解したいという気持ちからか、
はたまたその両方か…
ともかく私は彼女たちの夢の本質と心を考えてみたくなった。

現時点でもうそこそこの長さになっているが、
この先はもっと長くなる。
それでも私なりに答えを出してみようと書いてみたので、
是非読んでみてもらえたらうれしい。


「千歌の夢、Aqoursの夢」

アニメ本編において千歌がリーダーとしてAqoursを引っ張っていったことは
おそらく皆さんもご承知の通りだろう。
特に、Aqoursの在り方、哲学において彼女が果たしている役割はとても大きい。
スクールアイドルへの愛、本当の自分の居場所…
様々な理由で参加しているメンバーが1つのユニットで頑張れるのは、
それらを包括するような千歌の大きな憧れがあってこそだったと思う。
Aqoursのスクールアイドルとしての在り方≒千歌が目指すもの
だと私は考えている。

彼女は「普通」だと自身を評価していた。
だが今我々は彼女のことを安易に「普通」とは思わないだろう。
最初こそ「普通」だったのかもしれない彼女のリーダーとしての心積もりは、
トーリーを通して色んな人や出来事を通して、
我々の目をみはるような成長を遂げる。

千歌の夢、Aqoursの夢について、ストーリーを追いながら考えていこう。


「夢の軌跡」

まずAqoursの物語は千歌が初めてμ'sのパフォーマンスを観て、それに憧れるところから始まる。
何かに全力になりたいと燻っていた彼女は、スクールアイドルという全力でエネルギーをぶつけられる場所を知った。
そんなスクールアイドルという場で自身の心を惹きつけて止まないμ'sのキラキラした姿から
「私も輝きたい!」という願いを抱く。
これがこの後もストーリーで描かれていく彼女の願いであり、
言ってしまえば、輝きを感じる対象がスクールアイドルであることは
本来的には必然ではない(後述するが千歌にとっては必然だったのかもしれない)。
「輝きたい」は包括的な概念、哲学であり、それ故に私はこれこそが千歌の「夢の本質」であるとみている。

さて、ここでもう一点、μ'sとの関係も整理しておこう。
彼女の願いはあくまで「輝きたい!」ということであり、そのきっかけがμ'sだったために、「(μ'sのように)輝きたい!」という旨の発言になっているということだ。
つまり、当たり前だが彼女は決してμ'sになりたいわけではない。
たまにμ'sそのものになることを望んでいるのではないかという
解釈をする方もいるようだが、彼女の願いの本質を踏まえると、
それは誤りだろう。
ただμ'sのように輝きたい、という発想から、輝くにはμ'sのようにすればよいという考えに至っているのだ。
夢で夜空を照らしたいの歌詞にもあるように、形から入っているだけに過ぎない。

ともあれ目指すものを見つけた彼女は、
仲間とともに少しずつユニットを確かな形に作っていく。

そんな千歌の夢の大きなターニングポイントが6話である。
この話の冒頭で浦女が廃校の危機に瀕していることが明らかになり、千歌がそれを喜ぶところからスタートする。
それは勿論、本人も言っているように状況がμ'sと重なるからで、
1話から、千歌はあくまで輝きたいだけ、そして輝くにはμ'sと同じ道を歩めば良いと思っている、
という文脈で考えると、
彼女にとっては輝くために不可欠な材料が手に入ったくらいのニュアンスなのだろう。
μ'sと同じものを目指したい(そうすれば結果的に輝ける)と言っている彼女にとって、
同じ目標、廃校阻止を追えるようになったのは僥倖なのである。
μ'sは元々廃校阻止が目標のため、千歌が輝く手段として廃校阻止を目標に掲げるのは確かに矛盾したことなのだが、
結果だけ見るとμ'sがその輝きをもって廃校阻止を達成したといえるため、
千歌の中では矛盾はないのだろう。

そして千歌は廃校阻止のために活動を始めるわけだが、
そのためにアピールポイントを探すうちに学校がある日常の喜びや町の良いところを知り、結果的に自身の学校、そして内浦という町が自分にとって大切なものなのだと逆に知る。
6話のラストで、助けて、ここには何もない、と思っていたという千歌のモノローグがあるが、
元々μ'sと同じやり方で輝こうとしていた彼女にとって、都会と大きな差がある内浦という土地は足枷でしかなかったのだろう。
しかし、内浦の良さや大切さに気づいた彼女は「内浦のスクールアイドルとして輝く」ことを決めたのではないだろうか。

追いかけてみせる、という言葉はスクールアイドルとして輝く夢のことだと私は解釈しており、
「この場所から始めよう できるんだ」という台詞は、内浦だから輝けない、なんてことはなくて、
内浦だからこそ私は輝けるという彼女の確信の言葉に思える。
6話は、スクールアイドルとして輝くにあたって、内浦や浦女がAqoursの重要なアイデンティティーとなるというストーリー展開だ。
それを踏まえると、内浦の良いところを知ってもらい、そして廃校を阻止することが彼女の新たな目標として追加されるのは想像に難くない。
あくまで「(私たちの夢)輝きたい」、「(みんなの夢)浦女を残したい、内浦の良さを知ってもらいたい」というのは千歌にとって夢の両輪なのではないだろうか。

続いて8話では、0から1へ、というキーワードが出てくる。
東京でのイベントの結果に対し最後に「悔しい」という本音を打ち明ける千歌だが、
これもスクールアイドルとして「輝きたい」という願いに何ら矛盾するものではない。
私は千歌の海での発言について、
自分はスクールアイドルをまだ続ける
→だってまだ0
→スクールアイドルとして輝きたい
→なのに0だった
→悔しい
という流れから、頑張ったのにスクールアイドルとして輝けなかったことが千歌は悔しかった、と理解している。
アイドルとして誰かに勝つとかそういう想いではない。
芸術分野においてしばしば人が抱く感情だが、
人の心を惹きつけたくて、何かを訴えたくて、
表現活動をしたときに、
誰にも伝わらなかったときの悔しさは筆舌に尽くし難い。
好きなことで良いものをお客さんに届けたい、
という気持ちは自身の絶対値であり、
ただ同じフィールドに立つ人が他にもいる以上、
相対的に優れたパフォーマンスをしなければならない。

ちなみに私個人としてはそのことについて、
お客さんという立場からしても、享受できる表現の絶対値、
あるいはそれから得られる幸福の絶対値が高くなるため、
歓迎するべきだと思っている。


さて11話では、千歌の夢については特段変化は見られないが、彼女の輝くことへの想いが再確認されている。
ここにきて1話や2話をなぞるのはとても上手い構成ではないだろうか。

曜と梨子に、千歌にとってのスクールアイドル、そして輝くことについて
「千歌にとって輝くとは誰かと一緒になって、1人ではできない大きな輝きを作ること。そしてそれが彼女たちの歌を聴いた人にも広がっていく。それがスクールアイドルの輝きであり、千歌のやりたかったこと」
という発言がある。
これは1話で千歌が言ったμ'sのパフォーマンスについて、誰かと一緒に一生懸命になると、こんなに感動させることができる、スクールアイドルはそれができる、という言葉と一致している。
ここからも是非変わらぬ彼女の夢の本質を読み取りたい。


そしてストーリー上かなり重要な意味を持つ12話となる。
この回の冒頭で、既に同時期にμ'sが廃校阻止していたことについて、千歌は自分たちとの差を感じている。
この発言の意図としては、廃校阻止できるほどの輝きを自分たちはまだもっていない、ということだと解釈するのが適当だろうか。
6話での発言等を考えると、
廃校阻止ができないのは自分たちの輝きがまだ及んでいないためだと千歌は考えると予想される。
それ故、どうしたらμ'sのように強い輝きを放てるのか答えを求めて、音ノ木坂へ向かうのである。
そして、そこでμ'sが学校に形あるものは何も残さなかったと知る。
おそらく千歌や梨子はそこから「何も残さなかったμ's=μ'sにとって勝ち取った成果は重要ではない=1番になりたい、勝ちたいということはなかった」という答えに行き着いたのではないだろうか。
そして千歌は、何にも囚われず仲間だけを見て自分たちの景色を探して走る、それがスクールアイドルとして輝くために本当に必要なことだと気づくのである。

 

Aqoursラブライブ!

では自分たちだけの道を全力で走り輝くことを決めたAqours
ラブライブに出場する意味や理由はあるのだろうか?
まず答えとしては、ある、というのが私の見解である。

最初に確認しておきたいこととして、
以前にTwitterでも言及したが、
ラブライブの勝敗は人気投票的に決まることである。つまり技術云々は置いておいて、単純により多くの人を惹きつけた(=より輝くことができた)アイドルが勝者となる。
その前提で考えると、
千歌はμ'sのように(=誰よりも)輝くことを目標としているのだから、どれだけ人を惹きつけられたか、そして自分たちの輝きはどこまでのものなのか…それはラブライブに出場して初めて知ることができるのである。

ではどうすればより輝けるのか。

ダイヤが作中でアイドルのパフォーマンスのレベルアップについて言及しているので、まず技術について触れる。
世の中、文化活動において技術と気持ちは相対要素的に扱われることも少なくないが、そんなことは決してない。
ハッキリ言って、技術レベルの高いパフォーマンスはそれだけでも心に訴えるものがあるし、
技術レベルの低いパフォーマンスは当人達がお客さんを楽しませようと思っていてもそもそもそれが伝わらない。
パフォーマンスを何らかの意思の伝達手段と考えると、稚拙なツールでは伝わるものも伝わらないということだ。
ラブライブの規模と歴史の拡大につれ、強い想いをもった人たちがより多く集まるのは当然なのだから、
よって輝くためには優れた伝達手段(=レベルの高いパフォーマンス)は必須といえる。
また、千歌の1話での発言にもある通り、輝くためには一生懸命練習しなければならない。必死に練習した先にある技術には確かに相応の気持ちが宿ることは確かである。

ただ技術はあくまでツールである。
根本的には輝く=楽しむこと、と千歌は言っているが、事実我々がアイドルに求めることは何だろうか。
きっと、楽しくて、幸せな気持ちにさせてくれることだろう。
つまり、その高いレベルのパフォーマンスをもって何を伝えたいか…ということが輝くこと、
そして結果としてラブライブで優れた成績を残すことにとって重要である。

少し話がズレるが私のような人間がSaint Snowに抱く疑問点はそこにあって、
彼女たちは「勝つこと」を前面に押し出しているため、(彼女たちの本心は分からないが)
どこまでいっても彼女たちのハイレベルなパフォーマンスからは「勝利への欲求」が強く伝わってくるだけになってしまうのである。
果たしてそれは世の中がアイドルに求めるものなのか…
彼女たちは勝利を求める故に勝利から遠ざかるのではないかと考えてしまう。
技術なき想いは無力だが、想いなき技術は空虚である。

ラブライブに参加する意義について話を戻して、
千歌のもう1つの目標「地元を知ってもらう」という点からアプローチを考えてみると、
内浦、そして浦女を知ってもらうためにも、ラブライブは非常に適しているといえる。
現実的な話になるので、どこまで作品に対して適切か分からないが、ラブライブという大会はある程度の注目度が期待され、
そこでは言ってしまえばスクールアイドルの見本市というような状況になることが予想される。
無名のアイドルを素人が発見するのはなかなか困難だが、
ラブライブという大会を通せば、どんなグループも平等にステージを得ることができるので、
多くの人が比較的簡単に見つけられるということだ。
そしてある程度その魅力に見合った順位が与えられてく。
様々なランキングが世の中には存在するが、選択肢と情報が膨大になった現代においては、
我々が決定行為を行う際に切っては切れないシステムである。

以上の理由で、彼女たちが0から1への挑戦を出来る場所、
そして夢を叶える場所はやはりラブライブしかないのだと思う。


最後に、
13話ラストの千歌の言葉を振り返りたい。
μ'sに千歌が感じた光は、仲間だけをみて突き進んで、それだけでしか見えない景色があると感じさせてくれる光ではないだろうか。
世の中様々なアイドルユニットが、いや、それに留まらず様々な表現者たちがいる。
作り手も受け手も異なるバックグラウンドを持っているし、
作り手が受け手に、受け手が作り手になるシーンが世のなかには溢れている。
そんな中で、誰のパフォーマンスがどんな人たちに刺さるのかは常に未知数である。
人を楽しく、そして幸せにしてくれる表現に答えはない。
でも誰かにしかない表現は、誰かにとってかけがえのない心になる。
この先もAqours9人だけの輝きで、私たちのことも輝かせて欲しい。
我々も一緒に輝けるようこれからも精一杯応援していく。

Aqours 1st LoveLive! に寄せて レポートというより感想

こうやってブログを書くのはいつぶりだろうか。
浪人時代の暇つぶしにやっていたのが最初で最後だから、どうやら5年ちょっとくらいになるようだ。
なかなかの期間ご無沙汰だったわけだが、数日経ってやっぱりちゃんと文字に起こしたくなった。それほど印象的な時間だったのだ。

2月26日、私はAqours 1st Love Live 〜Step!ZERO to ONE〜に参加してきた。
この2日目は今更言うまでもなく、今後Aqoursを語る上で忘れることができない日になったわけだが、やはりネット上でも様々な意見がみられる。
結論から言うと、今回のライブは現在のAqoursにおける1つの完成形として私からみれば間違いなく大成功だった。

そう思うのはアマチュアながらも自身が音楽家として生きているからだと思う。
さて、最初から自分語りが多くて辟易する方もいると思うが、なんとかお付き合いいただけたら幸いだ。

 


「我々は何を求めてライブに参加するのか」





私は世間一般でいうクラシックオタクで、自分でも楽器を吹き、吹奏楽やオーケストラで活動している。学生時代から社会人になったばかりの現在まで10年以上、生活のほとんどの時間を楽器と音楽に捧げてきた。
クラオタとはまぁ非常に面倒くさい生き物で、他人の演奏にともかくうるさい。
マチュアのコンサートは相当なことがないと足を運ぶ気にならないし、
プロのコンサートでは説得力のあるアナリーゼを前提に、テンポやバランス音色音程全てに完璧かつオリジナリティのある響きを求めて聴きに行く。
音を落としたり、解釈が伝わらない明らかに不自然な表現、また聴くに堪えない響きで演奏するようものなら途中で退出するし、事実したことも何度かある。
それは当然のことで、私は、そしておそらく多くのクラシックファンは純粋な音楽のみを求めて演奏会に行っているのである。良い音楽と出会えることが分かっているから、我々は海外と名門オケの優良席に平気で対価として数万円を支払うのだ。

こんな音楽観を常日頃主張しているせいで、今回私がAqoursのライブに参加し、更にはそれがとても素晴らしかったと絶賛するのだから、何人かの友人はひどく驚いていた。
確かに自分でもあまり想像できない姿だし、音楽に対して芸術的学問的価値を求めてる人間がAqoursの音楽(ダンス等含む)を何故そこまでに思ったのか改めて考えてみた。


更に結論に向かって遠回りさせて欲しい。
私はアニメやマンガ、ドラマ、小説に映画等々わりと創作物はあらゆるジャンルあらゆる媒体をそれなりに好んで雑食してきた。
しかし実はラブライブ!サンシャイン!!は元々そこまで観るつもりがなかった。それに特段理由はないが、観る理由も特段なかったのだ。

本当に2,3話を観るうちだと思う。気づけば毎話ボロ泣きしてるくらいハマっていた。
多分、何かに憧れて、自分の適性とか関係なしにチャレンジするというストーリーが好きだったんだと思う。なので、未だにルビィと花丸が加入する4話が1番好きだったりする。
なんで好きかと言われると、これまたとても単純な話で、自分がまさにそうだったからである。
中学生のとき私はオーケストラというものを初めて聴き、その響きと壮大さにともかく感動した。こんな世界がこの世にはあるのかと図書館で沢山のCDを聴き漁った。
そしてその後たまたまプロの少人数アンサンブルを聴く機会があり、自分が吹くことになる楽器と運命的な出会いをするのだが、それはまた別の話。
ともかく私は不相応ながら一流のプロの演奏に憧れ、クラシックという世界で高校生からようやく楽器を演奏することなる。そして、めでたく入部することになった吹奏楽部で私はとんでもない事実に気づいたのだ。

最初は皆そんなものなのかと思っていた。でも入部して1年経つくらいには嫌でも理解した。自分には奏者として音楽の才能が絶望的になかった。何度やってもリズムは理解できないし、テンポもズレる。音程は全然取れないし、そもそもドレミがそれぞれどの音か分からないどころか、2つの音を鳴らしたときどちらが高いか低いかもすぐに分からなかった。楽譜もいつまでたっても読めるようにならなかった。

それでも音楽が好きで仕方なくて諦めきれなかった。どうしても音楽を続けていたかった。
だから、ともかく練習を続けた。でも才能なしにはどうにもならないもので、はっきりいって今も大したプレイヤーではない。というか下手な部類に入るだろう。プロになる夢は早々に諦めざるをえなかった。
でも、幸いなことに吹奏楽やオーケストラは1人でやるものではなかった。それがアマチュアとして生きる道を私に与えてくれた。この10年ちょっと、周りの人に何度引っ張りあげてもらったか分からない。仲間に助けられ助けられ、気づいたら全国のアマチュアでも有数の実力を待つ団体で吹くようになっていた。今なお、できないことだらけで、未だに高校時代からできるようになってないことだって少なくない。
ただ、自分の好きな音楽への愛、そして何より周りの人から何度も差し伸べられた手のおかげでここまで来れたと私は確信している。

やっとAqoursの話に戻る。
私がアニメのストーリーにハマった理由はこういった経験のオーバーラップであることは間違いない。好きなことに向かって、できるできない関係なしに挑む姿が今も変わらずとても好きだ。
キャストの方々についてもそれは同じで(といっても才能という点については素晴らしいものをお持ちだと思う)、様々な壁を超えて成長していく姿から目を離せなくなった。

そんな中で初のライブの存在を知った私は迷わず応募をした。幸運にも当選し、参加できることになった。
今になってあのとき何故迷わず自分は応募したのか思い返してみる。繰り返しになるが普段の自分ならありえないことだった。


自分はAqoursのライブに何を求めていたのか…きっと壁を超える姿なのだと思う。
ラブライブのキーワードは「みんなで叶える物語」。言ってしまえば、完成系を楽しむコンテンツではないのだと思う。それこそゼロからイチへの一歩だったり、なにかを成す姿を見せてくれるコンテンツなんだと思う。そして我々はそれを応援することが許されている…。
他の作品やアイドルに詳しくないので断言はできないのだが、自分がAqoursを好きになったのは、自身と似た環境の物語になること。そして大好きなことを通して夢を叶える姿を、Aqoursなら見せてくれるだろうと感じたからだと思う。
私は自分にできなかった、「壁を超えて」夢を叶える姿を見たかった。


ライブ2日目、自分が遠くから勝手に投げかけた希望は間違っていなかったことを知る。
「壁を超える姿」を何より体現していた瞬間こそ『想いよひとつになれ』ではなかっただろうか。
壁を超えた成果としての素晴らしいパフォーマンスというのも勿論私の見たいものであり、
それを期待するスタンスは紛れもなくスタンダードなものである。
でも私が望んでいたのは物語である。それは過程があって初めて完成する。
散々言われていることだが、1度失敗した演奏をすぐに挑戦させることは本当に難しい。冷静な状態なら、失敗の原因や対策を考えることもできるだろう、しかしあの極限状態である。多分、頭が本当に真っ白な状態で弾き直したと思う。心をほんの僅かばかり落ち着け、再度挑む覚悟を決める時間しかなかったはずだ。
本番に、しかもギリギリの状態になればなるほど顔を出すのは、身体に染みついた本当の実力である。音楽に奇跡なんてものはなくて、あるのはただただ自分の積み重ねた技術と表現と想いだけだ。
2度目の演奏、私の記憶に焼きついてるのは、
音楽に置いてかれまいと必死にテンポに喰らいつき、絶対に失敗はしまいと血気迫る空気を放ち鍵盤を叩く逢田梨香子さんの姿。
彼女は本番での失敗というとてつもなく大きな壁を積み重ねてきた努力で超えてみせたのだ。

私の見たかったものが予想を遥かに超える形でそこに現れた。

ただただ拍手したのだけは覚えてる、歓声をあげたかはイマイチ記憶がない。
ライブが終わってユメのように楽しかった思い出と一緒に、友人の言葉をきっかけにこのことを改めて考えて、ああ、自分がAqoursに求めていたのはこういうことだったのかもしれないと思った。

ご本人はプロとしてあるまじきことをしてしまったとも言っていた。
それについて本人以外が言えることはないだろう。
ただ私は、アマチュア音楽家がたまに使う「気持ちだけはプロに負けない演奏をしよう!」という言葉がとてもとても嫌いだ。
プロになるまで才能ある人たちが集まる世界でどれほどの努力をしたらよいのか…その頑張りを支える気持ちというのはアマチュアには理解しきれない激情の世界だろう。
並大抵ではない決意と情熱に支えられた努力こそが音楽に宿る気持ちになる。プロの演奏がプロの演奏たる所以の1つは圧倒的なまでに強い気持ちである。
そういう意味では、逢田梨香子さんのピアノは確かに「プロの音楽」ではなかっただろうか。


最後に、決してオールOKというわけではないということについて私も触れておきたい。
ああいった場面がないようひたすらな努力があって全体を通してびっくりするくらい楽しいライブだったからこそ、あの場面が鮮烈だったのはもちろん忘れてはならない。
ライブが「楽しい」ことはコンサートが「美しい」のと同じくらいの前提、なんだと思う。
アクシデントは1度しか許されない、2度目は多分お客さんがシラけてしまう。ギリギリの状況だったのは間違いないし、成功したから物語となった。今後のコンサートではきっと失敗は認められず、Aqoursは背水の陣になる。
そんなプレッシャーの中でも、Aqoursなら最高に楽しいステージを披露してくれるだろうと私は信じてる。
壁はもう超えたのだから、次はその先にある沢山の輝きを見せてくれるだけだ。その輝きは、私の人生だけでは出会うことなかった輝きになるだろう。

 




※長文拙文にお付き合いいただきまして、心からお礼申し上げます。ありがとうございました。以下は知り合いに聞かれたことを個人的な想像で答えます。アマチュア雑魚プレイヤーの一意見程度に捉えて下さい。


・りきゃこは暗譜していたのになんで途中から戻ることができなかったの?

インスタにてりきゃこは楽譜すら読めなかったと発言していました。技術的な話になるうえにこれは本当に想像ですが、ピアノという同時にいくつもの音を出せる楽器を暗譜して演奏するのは本当に難易度の高いことです。頭の中で出すべき音を並べて、流れてる音楽に合わせて、正しく鍵盤を叩く必要があります。
経験の長い人はそれらを1つの行為として演奏することができますが、流石にそれはかなりの時間が必要です。学生時代の合唱コンクールの伴奏、暗譜してやる人ほとんどいないと思います。
なので、きっとりきゃこは周りの音楽をトリガーにしつつ一連の流れとして演奏をインプットしていたのではないかと思います。つまり、途中での復帰は前提としていなかったのでしょう。楽譜を覚える、というよりも指の動かし方や動かす順番を染み込ませたのだと思います。管楽器奏者でいう指が勝手に動くというやつですね。3ヶ月でピアノを1曲暗譜して演奏するというとんでもないことをやるには、楽譜を全部暗記するのは普通の人間では無理でしょう。自分の楽譜だけ覚えればいいわけでもないですしね。

・手が震えるって本当にあるの?

当然ですが、あります。私自身1度だけどうしようもなく演奏中震えたことがあります。
初めてCDのレコーディングがある演奏に参加してソロを吹いたときです。ライブ録音だったため勿論やり直し不可。
極限の緊張のなかで、絶対にミスできないという気持ちがひたすら強くなったときに手の震えが抑えられなくなりました。
あの瞬間、絶対に失敗してはいけないという気持ちが恐ろしいほど強くあったことは想像に難くありません。