パラボラアンテナ

Aqous中心のブログっぽいなにか

Aqoursのユメ

つい先日、ラブライブ!サンシャイン!!の一挙再放送があった。
Blu-rayがあってもスケジュールを立てるのに相応の気合がいるせいか、なかなか1話から全部連続して見直すということはなかったので、
こうして改めて連続視聴することで新たな気づきもあり、大変楽しめた。
そして観る度にいつも思う。なぜ彼女たちはいつもあんなにも眩しいのだろうか…。

 

Aqoursの「夢」のリアル」

Aqoursのやりたかったことってなんだったんだろう?」
たまにネット上で見かける疑問の1つだ。
確かに全体を通して「輝きたい」というテーマは分かるけれど、
内浦への想い、μ’sラブライブとの関係等で実際問題として
彼女たちの哲学がぼやけてしまうのかもしれない。
ただ、そんな分かりにくさが私にとってラブライブ!サンシャイン!!を
一段と魅力的なものにしたのだと思う。

考えてみれば人の夢は動機と必ずしも1対1の関係では結ばれず、
また目指すものやアプローチが常に同じなんてことは
きっとないだろう。
別にこれは、人は誰しもブレる、という話ではない。
私は、人の願いについて本質こそ簡単に変わらないものであり、
目的地の姿や通ろうとする道筋が変わることは、
決して迷走ではなく、成長の証だと考えている。
自分が本当に至りたい場所を見つけるのに必死になれるのは
青春時代ならではの無謀さではないだろうか。

意図してかどうかは分からないが、そんなリアルさがこの作品にはあった。
他人の夢の全貌がすぐ分かるほど人間は単純じゃないし、
高校生の夢の外見はなかなか一定じゃない。
だからこそ感覚的に我々は1人の女子高生として
彼女たちを受容し、
そして熱いナニカを受けとったのではないだろうか。
13話を通して千歌、そしてAqoursのひたむきな青春は、
ノスタルジーとはまた違う、記憶と感情の奥にある情熱を
引き起こすような力が確かにあった。

しかし、やはり彼女たちのファンとして、
より明確にその想いを受け取りたいという気持ちからか、
あるいはより彼女たちを理解したいという気持ちからか、
はたまたその両方か…
ともかく私は彼女たちの夢の本質と心を考えてみたくなった。

現時点でもうそこそこの長さになっているが、
この先はもっと長くなる。
それでも私なりに答えを出してみようと書いてみたので、
是非読んでみてもらえたらうれしい。


「千歌の夢、Aqoursの夢」

アニメ本編において千歌がリーダーとしてAqoursを引っ張っていったことは
おそらく皆さんもご承知の通りだろう。
特に、Aqoursの在り方、哲学において彼女が果たしている役割はとても大きい。
スクールアイドルへの愛、本当の自分の居場所…
様々な理由で参加しているメンバーが1つのユニットで頑張れるのは、
それらを包括するような千歌の大きな憧れがあってこそだったと思う。
Aqoursのスクールアイドルとしての在り方≒千歌が目指すもの
だと私は考えている。

彼女は「普通」だと自身を評価していた。
だが今我々は彼女のことを安易に「普通」とは思わないだろう。
最初こそ「普通」だったのかもしれない彼女のリーダーとしての心積もりは、
トーリーを通して色んな人や出来事を通して、
我々の目をみはるような成長を遂げる。

千歌の夢、Aqoursの夢について、ストーリーを追いながら考えていこう。


「夢の軌跡」

まずAqoursの物語は千歌が初めてμ'sのパフォーマンスを観て、それに憧れるところから始まる。
何かに全力になりたいと燻っていた彼女は、スクールアイドルという全力でエネルギーをぶつけられる場所を知った。
そんなスクールアイドルという場で自身の心を惹きつけて止まないμ'sのキラキラした姿から
「私も輝きたい!」という願いを抱く。
これがこの後もストーリーで描かれていく彼女の願いであり、
言ってしまえば、輝きを感じる対象がスクールアイドルであることは
本来的には必然ではない(後述するが千歌にとっては必然だったのかもしれない)。
「輝きたい」は包括的な概念、哲学であり、それ故に私はこれこそが千歌の「夢の本質」であるとみている。

さて、ここでもう一点、μ'sとの関係も整理しておこう。
彼女の願いはあくまで「輝きたい!」ということであり、そのきっかけがμ'sだったために、「(μ'sのように)輝きたい!」という旨の発言になっているということだ。
つまり、当たり前だが彼女は決してμ'sになりたいわけではない。
たまにμ'sそのものになることを望んでいるのではないかという
解釈をする方もいるようだが、彼女の願いの本質を踏まえると、
それは誤りだろう。
ただμ'sのように輝きたい、という発想から、輝くにはμ'sのようにすればよいという考えに至っているのだ。
夢で夜空を照らしたいの歌詞にもあるように、形から入っているだけに過ぎない。

ともあれ目指すものを見つけた彼女は、
仲間とともに少しずつユニットを確かな形に作っていく。

そんな千歌の夢の大きなターニングポイントが6話である。
この話の冒頭で浦女が廃校の危機に瀕していることが明らかになり、千歌がそれを喜ぶところからスタートする。
それは勿論、本人も言っているように状況がμ'sと重なるからで、
1話から、千歌はあくまで輝きたいだけ、そして輝くにはμ'sと同じ道を歩めば良いと思っている、
という文脈で考えると、
彼女にとっては輝くために不可欠な材料が手に入ったくらいのニュアンスなのだろう。
μ'sと同じものを目指したい(そうすれば結果的に輝ける)と言っている彼女にとって、
同じ目標、廃校阻止を追えるようになったのは僥倖なのである。
μ'sは元々廃校阻止が目標のため、千歌が輝く手段として廃校阻止を目標に掲げるのは確かに矛盾したことなのだが、
結果だけ見るとμ'sがその輝きをもって廃校阻止を達成したといえるため、
千歌の中では矛盾はないのだろう。

そして千歌は廃校阻止のために活動を始めるわけだが、
そのためにアピールポイントを探すうちに学校がある日常の喜びや町の良いところを知り、結果的に自身の学校、そして内浦という町が自分にとって大切なものなのだと逆に知る。
6話のラストで、助けて、ここには何もない、と思っていたという千歌のモノローグがあるが、
元々μ'sと同じやり方で輝こうとしていた彼女にとって、都会と大きな差がある内浦という土地は足枷でしかなかったのだろう。
しかし、内浦の良さや大切さに気づいた彼女は「内浦のスクールアイドルとして輝く」ことを決めたのではないだろうか。

追いかけてみせる、という言葉はスクールアイドルとして輝く夢のことだと私は解釈しており、
「この場所から始めよう できるんだ」という台詞は、内浦だから輝けない、なんてことはなくて、
内浦だからこそ私は輝けるという彼女の確信の言葉に思える。
6話は、スクールアイドルとして輝くにあたって、内浦や浦女がAqoursの重要なアイデンティティーとなるというストーリー展開だ。
それを踏まえると、内浦の良いところを知ってもらい、そして廃校を阻止することが彼女の新たな目標として追加されるのは想像に難くない。
あくまで「(私たちの夢)輝きたい」、「(みんなの夢)浦女を残したい、内浦の良さを知ってもらいたい」というのは千歌にとって夢の両輪なのではないだろうか。

続いて8話では、0から1へ、というキーワードが出てくる。
東京でのイベントの結果に対し最後に「悔しい」という本音を打ち明ける千歌だが、
これもスクールアイドルとして「輝きたい」という願いに何ら矛盾するものではない。
私は千歌の海での発言について、
自分はスクールアイドルをまだ続ける
→だってまだ0
→スクールアイドルとして輝きたい
→なのに0だった
→悔しい
という流れから、頑張ったのにスクールアイドルとして輝けなかったことが千歌は悔しかった、と理解している。
アイドルとして誰かに勝つとかそういう想いではない。
芸術分野においてしばしば人が抱く感情だが、
人の心を惹きつけたくて、何かを訴えたくて、
表現活動をしたときに、
誰にも伝わらなかったときの悔しさは筆舌に尽くし難い。
好きなことで良いものをお客さんに届けたい、
という気持ちは自身の絶対値であり、
ただ同じフィールドに立つ人が他にもいる以上、
相対的に優れたパフォーマンスをしなければならない。

ちなみに私個人としてはそのことについて、
お客さんという立場からしても、享受できる表現の絶対値、
あるいはそれから得られる幸福の絶対値が高くなるため、
歓迎するべきだと思っている。


さて11話では、千歌の夢については特段変化は見られないが、彼女の輝くことへの想いが再確認されている。
ここにきて1話や2話をなぞるのはとても上手い構成ではないだろうか。

曜と梨子に、千歌にとってのスクールアイドル、そして輝くことについて
「千歌にとって輝くとは誰かと一緒になって、1人ではできない大きな輝きを作ること。そしてそれが彼女たちの歌を聴いた人にも広がっていく。それがスクールアイドルの輝きであり、千歌のやりたかったこと」
という発言がある。
これは1話で千歌が言ったμ'sのパフォーマンスについて、誰かと一緒に一生懸命になると、こんなに感動させることができる、スクールアイドルはそれができる、という言葉と一致している。
ここからも是非変わらぬ彼女の夢の本質を読み取りたい。


そしてストーリー上かなり重要な意味を持つ12話となる。
この回の冒頭で、既に同時期にμ'sが廃校阻止していたことについて、千歌は自分たちとの差を感じている。
この発言の意図としては、廃校阻止できるほどの輝きを自分たちはまだもっていない、ということだと解釈するのが適当だろうか。
6話での発言等を考えると、
廃校阻止ができないのは自分たちの輝きがまだ及んでいないためだと千歌は考えると予想される。
それ故、どうしたらμ'sのように強い輝きを放てるのか答えを求めて、音ノ木坂へ向かうのである。
そして、そこでμ'sが学校に形あるものは何も残さなかったと知る。
おそらく千歌や梨子はそこから「何も残さなかったμ's=μ'sにとって勝ち取った成果は重要ではない=1番になりたい、勝ちたいということはなかった」という答えに行き着いたのではないだろうか。
そして千歌は、何にも囚われず仲間だけを見て自分たちの景色を探して走る、それがスクールアイドルとして輝くために本当に必要なことだと気づくのである。

 

Aqoursラブライブ!

では自分たちだけの道を全力で走り輝くことを決めたAqours
ラブライブに出場する意味や理由はあるのだろうか?
まず答えとしては、ある、というのが私の見解である。

最初に確認しておきたいこととして、
以前にTwitterでも言及したが、
ラブライブの勝敗は人気投票的に決まることである。つまり技術云々は置いておいて、単純により多くの人を惹きつけた(=より輝くことができた)アイドルが勝者となる。
その前提で考えると、
千歌はμ'sのように(=誰よりも)輝くことを目標としているのだから、どれだけ人を惹きつけられたか、そして自分たちの輝きはどこまでのものなのか…それはラブライブに出場して初めて知ることができるのである。

ではどうすればより輝けるのか。

ダイヤが作中でアイドルのパフォーマンスのレベルアップについて言及しているので、まず技術について触れる。
世の中、文化活動において技術と気持ちは相対要素的に扱われることも少なくないが、そんなことは決してない。
ハッキリ言って、技術レベルの高いパフォーマンスはそれだけでも心に訴えるものがあるし、
技術レベルの低いパフォーマンスは当人達がお客さんを楽しませようと思っていてもそもそもそれが伝わらない。
パフォーマンスを何らかの意思の伝達手段と考えると、稚拙なツールでは伝わるものも伝わらないということだ。
ラブライブの規模と歴史の拡大につれ、強い想いをもった人たちがより多く集まるのは当然なのだから、
よって輝くためには優れた伝達手段(=レベルの高いパフォーマンス)は必須といえる。
また、千歌の1話での発言にもある通り、輝くためには一生懸命練習しなければならない。必死に練習した先にある技術には確かに相応の気持ちが宿ることは確かである。

ただ技術はあくまでツールである。
根本的には輝く=楽しむこと、と千歌は言っているが、事実我々がアイドルに求めることは何だろうか。
きっと、楽しくて、幸せな気持ちにさせてくれることだろう。
つまり、その高いレベルのパフォーマンスをもって何を伝えたいか…ということが輝くこと、
そして結果としてラブライブで優れた成績を残すことにとって重要である。

少し話がズレるが私のような人間がSaint Snowに抱く疑問点はそこにあって、
彼女たちは「勝つこと」を前面に押し出しているため、(彼女たちの本心は分からないが)
どこまでいっても彼女たちのハイレベルなパフォーマンスからは「勝利への欲求」が強く伝わってくるだけになってしまうのである。
果たしてそれは世の中がアイドルに求めるものなのか…
彼女たちは勝利を求める故に勝利から遠ざかるのではないかと考えてしまう。
技術なき想いは無力だが、想いなき技術は空虚である。

ラブライブに参加する意義について話を戻して、
千歌のもう1つの目標「地元を知ってもらう」という点からアプローチを考えてみると、
内浦、そして浦女を知ってもらうためにも、ラブライブは非常に適しているといえる。
現実的な話になるので、どこまで作品に対して適切か分からないが、ラブライブという大会はある程度の注目度が期待され、
そこでは言ってしまえばスクールアイドルの見本市というような状況になることが予想される。
無名のアイドルを素人が発見するのはなかなか困難だが、
ラブライブという大会を通せば、どんなグループも平等にステージを得ることができるので、
多くの人が比較的簡単に見つけられるということだ。
そしてある程度その魅力に見合った順位が与えられてく。
様々なランキングが世の中には存在するが、選択肢と情報が膨大になった現代においては、
我々が決定行為を行う際に切っては切れないシステムである。

以上の理由で、彼女たちが0から1への挑戦を出来る場所、
そして夢を叶える場所はやはりラブライブしかないのだと思う。


最後に、
13話ラストの千歌の言葉を振り返りたい。
μ'sに千歌が感じた光は、仲間だけをみて突き進んで、それだけでしか見えない景色があると感じさせてくれる光ではないだろうか。
世の中様々なアイドルユニットが、いや、それに留まらず様々な表現者たちがいる。
作り手も受け手も異なるバックグラウンドを持っているし、
作り手が受け手に、受け手が作り手になるシーンが世のなかには溢れている。
そんな中で、誰のパフォーマンスがどんな人たちに刺さるのかは常に未知数である。
人を楽しく、そして幸せにしてくれる表現に答えはない。
でも誰かにしかない表現は、誰かにとってかけがえのない心になる。
この先もAqours9人だけの輝きで、私たちのことも輝かせて欲しい。
我々も一緒に輝けるようこれからも精一杯応援していく。