パラボラアンテナ

Aqous中心のブログっぽいなにか

あのとき私が見たもの

先日、遂にAqours 1st Live Day2のBlu-rayを観た。
なんとなく、買ってすぐ見れなくて、でもこのタイミングで観てしまったので、
2nd Live Tour ファイナルの大きすぎるインパクトと共に脳内が洪水状態になってしまっている。

ファンとしての私にとっても、やはり1stの衝撃なしに今の自分は有り得ない。
だからこそ、まず、自分のブログで最初の記事でもあるDay2の「想いよひとつになれ」を観て思ったことをそのまま書いてみたい。

 


・ステージに見えた大きな隔たり

私が今回映像で「想いよひとつになれ」を観てある意味一番驚いたのが、階段の段数の少なさだった。
あの日現地にいた私には、ピアノを弾くために逢田さんが登った階段が、とても長くて高いものとして記憶されていた。しかし実際改めて観ると10段に満たない程度の長さでしかなかったのだ。

それでも私は確かに、階段の上と下との間に存在する境界を見ていた。
あのとき、逢田さんがピアノへと続く階段を登ったあの時間は、一瞬のようでいて、しかしとても長く感じた。それはあのステージで演奏をするまで彼女が登ってきた努力の追体験のようで、メンバーの中で1人ピアノに向かってきた故に現れた道にも思えた。
それはAqours加入前に梨子ちゃんがずっと歩んできたであろう道の姿にも似ていた。

ともかく、その光景は同じステージにいながら、まるでアニメの物語のように、逢田さんと他のメンバーが遠い別の場所にいるかのような印象を私に与えた。


そして始まる伊波さんのソロ、もしかしたらあのときの私には、その歌は遠く言葉の届かない場所にいる逢田さんを想った伊波さんの祈りに聴こえていたかもしれない。
届くか届かないか分からない、しかし強い想いが篭っているような響きだった。


しかしその直後、演奏が止まると、ステージの上へ駆け出す伊波さんをはじめとするメンバーの姿により、その境界は簡単に崩れ去った。

 

 

 

 

 

 

・あのとき私が見たもの

境界の無くなったステージで起きてることは、言い得ぬ現実性を帯びて私の目に映っていた気がする。
アニメと重ねて見ていた光景は、いつの間にか現実だけのものになっていた。
もう陳腐になるくらい言われたことかもしれないが、やはり私もあのときこれから起こる「物語」を信じていた。願っていた。


逢田さん以外のメンバーが自分の場所に戻ったあとのステージには、最初のときのような境界は依然消えたままだったような記憶がある。
ただ、やっぱり階段は高く長かったものだったし、遠い距離があるように思えた。

それでもメンバーが言葉に乗せたものは、もう祈りではなく、伝えたいメッセージとして確かに響いていた。
本来なら触れなれない遠い距離を越えて、想いを届けるために、1人1人が全力で手を伸ばし、逢田さんを掴もうとする歌とダンスがそこにはあった。
届け、届け、と叫んでいるようだった。


私はソリストは本質的に孤独な存在だと思っている。9人の音楽を、その瞬間だけは1人で奏でる責任が重くのしかかる。助けは物理的には存在し得ない。
仲間が自分に意識を集中させているだろうことは何となく伝わるが、目が合うことは決してない。ときに声が聴こえる。でも全てを聴くことはできない。
ソロを奏でるとき、その役目を担えるのは当然だが自分自身だけなのである。

それ故に全ての神経をそこに集中させる人も少なくないと思う。私も例に漏れず、演奏に瞬間し過ぎるせいか、本番でソロを演奏したときの記憶はほとんど曖昧だ。
指揮者のどこを見ていかも憶えていないし、どう吹いたかも思い出せないし、何を考えていたのかも定かではない。
周りの世界なんてほとんど知覚できていない。


あのときピアノを演奏する逢田さんの集中力は凄まじいものだったように思える。見るからに普通じゃない空気を放っていた。
大抵ああいうときはイヤモニの音を無意識の力で拾うのが精一杯だろう。
逢田さんは2回目の演奏について「ほとんど記憶がない」と言っている。

 

なので事実は分からない。
でも、私にはステージの1階と2階という届かない遠い遠い距離を越えて、メンバーが歌の端からダンスの指先から飛ばした想いが、確かに逢田さんへ届いているようだった。

 


想いが現実を超えて、物語の景色をつくった瞬間。それこそあのとき私が見たものである。

 

 

「梨子ちゃんが弾いてくれた」と、逢田さん。
それは逢田さんが必死にピアノを練習してその実力を身につけたから、生まれた感覚なのだろう。
でも、もしかしたら、あのギリギリの状態でコントロールできない要素をいつもの優しさでそっとサポートしてくれたのは、皆の想いの力でステージに立った10人目のアイドルの姿だったのかもしれない。