パラボラアンテナ

Aqous中心のブログっぽいなにか

3話のメモ書き的な

3話についての雑記(?
何かのヒントになれば嬉しいです


物語の雰囲気が変わる抽選会後のシーンから時系列的に追っていきます。


抽選会後

スポットライトからの転換
→13話のそれ
監督が物語を追うことより「彼女たちの心を優先したとき」
あるいは千歌ちゃんにのみ光を当てる(彼女の視点を中心に物語が展開することへの合図?
自ずとそこに注視させる方法


再び手を伸ばす
→2話のそれ
あのときは「何やっても楽しくない、どうしたらいいか分からない」梨子と「輝きを見つけた」千歌


千歌はまず梨子の悩みの助けになりたい。
千歌を信じてみたい梨子、やっぱり諦めたくないという気持ち。
→何をしても楽しくない、けど海に飛び込んだり、環境を変えたり、何かできることを試みてる
2人が諦めずに手を伸ばすから、現実がかたちを変えて、手が届く
梨子はピアノを諦めることなく、スクールアイドルへ。

 

今回は目標が共有されてる。
学校も大会も、どちらかなんて選べない。学校を救いたい、輝きたい。学校があるから輝ける。一方で、学校≠大会のような輝くための場所。
ダイヤの発言として大会は多くの人に見てもらえる場所

 

BGMは「つかめない光」
2人は手をちゃんと伸ばしているが届かない。
届かなくて笑いあう2人。
通じ合ってる2人、つかめない光、大会と学校2つを叶えること。
でも、どちらかしか選べないという前提に立っているから、それは仕方がないこととして認識している?だから届かなくても笑いあえる。
ピアノとアイドルを諦めなかったあのときとは違う。だから届かない?

 

梨子の提案。これは現実的な手段であり、気持ちで世界が変わるシーンにはなり得ない。

 

 

屋根とベランダの位置の差は一体?

終盤の回想、みかん畑ルート案を詰める千歌に梨子が「本当に諦めないね」と言う。
具体的な現状のベストを見つけても、そのうえで更なる理想のベストを追い求める精神。ここが2人の違いという可能性。

 

でもそもそも装置として、千歌は梨子が気づける悩む場所が屋根しかない。
以前梨子のピアノに気づいて手を伸ばしたのは廊下?なので、流石に不自然という考え。

 

 

梨子曰く、私たちにキセキは起こせない。千歌も同意している。
キセキは起こせないから、自分たちにできるところで精一杯頑張るしかない。

 

→後述のキセキの条件と重なるところは大きい。何かを変えたいと、ともかく頑張れば、普通の人でもキセキと呼ばれる結果を残せる。それは自分たちなりにベストを尽くすということ

 

→後述のキセキとは違う。そもそも9人で両方参加するという、理想の目標に向かってがむしゃらに諦めないことが大切。梨子は現実的な範囲で線を引いてしまっている。

 

 

梨子は1話においてどんな認識で「キセキを」と口にした?
1話のキセキと今回梨子が起こせないというキセキは別のモノ?
しかしその起こせないキセキは、最後に千歌の台詞で起こせるモノに変わる。

 

キセキの認識が変わっていってるという単純な可能性


1話→目標としてのキセキ。届かないかもしれないけど追いかけたいもの
3話中盤→手段としてのキセキ。起こしたいけど起こせないもの
3話終盤→結果としてのキセキ。手段が特別じゃなくても諦めなければ、目標が叶い、結果としてそれがキセキと言われる

 

(輝きに近づけば、キセキの姿がみえてきているような印象も少しある。また、類似性として、輝きたい!という欲求も最初からあったが、1期を通してその正体へ進んでいった)

 

 


大会組
→大会の効果に言及した黒澤姉妹(ルビィのコメントは弱め)と2年生

 

次のステージに向けて、と、メンバーに宣言し自信もあるような千歌。
しかし会場に入るとアウェイな空気に自分を含めて皆がのまれて歌い出せない。
千歌はここで自分のミスに気づく。といってもミスを認識する、というより、5人でこれからパフォーマンスすることへの不安。

 


説明会組
→説明会を優先するべきとした鞠莉や果南と花丸、善子

 

「勘違いしないように」
「私たちはやっぱり1つじゃないと」

 

まず前提として、11話は1つのAqoursとして離れた場所で梨子と他のメンバーが同じパフォーマンスをするようなニュアンス。
今回みたいにグループを2つに分けるのとは違う話である。

学校も大会もどちらか選べないから、2つに分けた。
しかし説明会組は、1つでなければ何かを成すことはできず、逆に2つに分けたままでは、学校も大会も失敗に終わると判断した。
物理的な早いタイミングで説明会組がそれに気づけば十分大会には間に合う。
奇しくも、説明会組は分割にあたり「それで本当にAqoursといえるの?」と述べた善子を始め、
一人一人ばらばらの自分たちが重なって一つの曲になる、ということを理解した雨の音の経験をしている。

説明会組が合流に際して伝えた言葉で、合流の理由ととれるのは「私たちは1つじゃないと」くらい。
彼女たちは説明会を諦める、という選択をしているが、それを気にしたり悔やんだりしている様子はない。
つまり、1つでないとそもそも何もできないということに対して強い確信があったと思われる。

 


そもそも説明会が大切で、全員揃う必要があるなら、大会組を呼び寄せるという手段もあったのでは?

 

 


新曲の歌詞
サンシャインは1期から物語とリンクした歌詞が特徴

 

挿入歌前後の切り替えを象徴するような歌詞

 

サビの「熱くなるため 人は生まれてきた」
熱と焔は縁語的


「命咲く 燃えている まだ小さな焔」
とは一人一人情熱を持ったAqoursメンバーそれぞれのこと?
「1つになれば キセキが生まれ」
ここはまさに2話で触れた通り1つの曲になるという気づきによるもの
そしてこれが3話に繋がる要素として「キセキ」の条件は「1つであること」だと分かる

 

「この世界がいつも 諦めない心に」
「答えじゃなく 道を探す 手がかりをくれるから」
この部分は直前のモノレールでみかん畑ルートに気づく千歌の姿に重なる。
2つに分けたのは失敗だったかもしれないし、キセキのような素晴らしい案はそういう意味では簡単に生まれてこない。
でも諦めなければ何か「道を探す 手がかり」が見つかるといえる。
この後のみかん畑ルート策定中する千歌の回想ラストの台詞
「道がある!」
という言葉にかかっている

 


大会終了直後
2年生の行動に黒澤姉妹を含め6人全員が驚いている。
→千歌はこれを知らせていなかった。ギリギリまでそもそも使えるか分かっていなかった?可能性として伝えなかったのは何故?リーダーとしてなんらかの判断?

 

逆に説明会組が持ち場を諦めての行動だったと分かる(といっても4人でライブしても効果は見込めないと判断している?

 

 


キセキを起こそうとするのではない
→キセキを頼りにする行動の否定でもある

みかん畑は間に合うか分からないルート、梨子が走りながらキセキは起こらないのかな、と言うことからも緻密なシミュレーションは行われておらず、
間に合わせるとしたら、これしかない、という認識か。
そのため全員でこれに懸けるという決断はしなかった
→そもそも説明会も大会も、というのが目標
しかし、それでもここまで考えるのは、諦めるという決断を下さないということ。

9人でないといけない、1つでないとできないことがある、
逆にこの9人でなら諦めなければ何でもできる(=キセキは起こせる)ということに、千歌は気づいたのか。
13話やキャストの言葉との重なり。

 

 

私たちにもキセキは起こせる
だって、虹がかかったもん

 

監督の言う、彼女たちの気持ちが変われば世界が変わる、という考え。
キセキの正体を掴み、諦めなければ自分たちにもキセキを起こせると信じるようになった。彼女たちの気持ちの変化。
天気がまるでAqoursのために虹をかける。

 

大会の会場からその場所まで諦めずに走ってきたからこそ、虹を見れた、説明会に間に合う
=監督の言う、気持ちがかたちとなって現実を超える瞬間

→キセキの象徴としての虹

君ここの舞台な一貫して9色メンバーカラーの虹
つまりキセキには9色あればこそ。

雨が虹を生む。
雨の音=1人1人のメンバー
メンバーの集合体=Aqours=曲
虹は7色だがこれはニュートンがドレミファソラシに対応させて決めた。
曲=ドレミファソラシの集まり=虹
この辺は少しこじつけ……

 

君ここのPVでは晴れたときに虹はかからない。
物語が動き出しているからこそ、虹がかかる?

 

この曲のアニメ上の扱いとして、
千歌の輝いている今の自分の気持ちを歌詞にしたもの
「夢にめざめたばかりの自分」

 

 

 

大会か学校か、どちらかなんて選べない、どっちも叶えたい
だから行く 諦めず 心が輝くほうへ

 

3話最大のテーマは学校と大会、自分たちを育ててくれた場所と自分たちが輝ける場所
この大事な2つどちらを選ぶのかということ。
アンサーはどっちか選べと言われても、どちらも選ぶという選択。諦めないこと。

そのために9人が1つであることの大切さを学び、
そのうえで千歌が諦めなければキセキを起こせるという。

 


輝きたいという欲求
諦めなければキセキは起こせるということ、
そのためには9人が必要ということ

 

(9人の必要性は重大なことだが千歌からは直接言及がない。
→それを言葉にしたのは鞠莉と果南。重要なことを千歌以外が口にすることから分かる、9人いることの重要性の一端?)