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Aqours LIVE & FAN MEETING 〜Landing action Yeah!!〜に寄せて

Aqours LIVE & FAN MEETING 〜Landing action Yeah!!〜が先日遂に千秋楽を迎えた。
千葉公演は幸いにも初日公演と千秋楽に参加することができたので、そのときライブで感じたことをつらつらと書いていきたい。
きっとトークパートについては私では到底及ばないレベルで魅力を伝えるレポートが沢山皆さんの元へ届くはずだ(あるいはもう届いてるかもしれない)。

 

 

そもそもファンミというイベントは、最初のトークパートの印象からしてライブもライトに楽しく、といった雰囲気になるのかと思っていた。
しかし大阪公演の蓋を開けてみたらどうだろう。決してそんなことはないと分かったし、初の現地参加となった札幌では純粋なライブと同様にパフォーマンスが進化しているのをひしひしと感じた。
札幌と千葉初日はキャストの表情がはっきり分かるレベルの前列だったため、今までスクリーンに断片的に抜かれていた過去の情報と、目の前の現在の情報を自由に比較できたので非常に刺激的だった。
更に今までカメラや距離のせいで見えていなかった高槻かなこさんのパフォーマンスの様々な情報を目の当たりにして、札幌では大きなショックを受けたほどだ。
また、私はどうしても土日に自身の本番が入ることが多いため、全公演のLVに参加できたわけではない。なので、或いは時間が空くことでもしかしたら差異をはっきりと感じたのかもしれない。

 

 

 

 

 

挑戦的な企画、十分な準備、挑戦的な本番

 

 

 

私は常々思う。
理想の本番のスタンスとは何だろうか?

 


1つ、私個人が自らクラシック音楽の奏者としてステージに立つとき意識することは、「練習以上のことをやろうとしないこと」である。
基本的に我々は本番においてパフォーマンスに''傷''をつけることは許されない。いくら練習を重ねていても、仮にそれが万が一のアクシンデントでも、それは音楽にとって関係ないことである。最低限正しく楽譜通りのカタチにするのは絶対ともいえよう。
できない曲を演目に選ぶのは、作品への冒涜だし、作品は、ステージは、努力発表会のための材料ではないのだ。コントロールできるレベルで企画段階から作っていくのが1つステージを作るのに大切なことである。
そこから来たる本番に向けて、そこで傷なきベストなパフォーマンスができるよう練習を積む。
そして迎える本番では、今まで積み重ねてきたことを結果として残す。逆に言えば今までやってきたことだけを本番に出す。
もちろん、周囲の空気と本番の集中力が練習以上の成果を残すこともあるのだが、それは意図せずのことで、
本番に枷を外してその瞬間限りの圧倒的なパフォーマンスをコントロールできるのはその道の本当に一流のみだろう。
そういう場面でスイッチの入るシーンは創作等では多く、私もそういった展開は非常に好みなのだが、現実は少々ドライだ。それで上手くいくなら誰も苦労しないし、冷静に考えるとたった一度の本番にそれだけのことをピタリと成功させられるなんてことが普通に起こり得るはずがない。
ちょっと話が逸れかけたが、ともかく、人は突然今まで以上のことはできないし、
少しでも今までの枠を越えようとすると、失敗のリスクが一気に上がる。練習とはその繰り返しだが、本番はそれらの結果を出す場だ。
全員で1つの完成形をつくりあげる。最良の音楽を生む。そこに身の丈に合わぬことをしようとして傷をつけるわけにはいかない、ということだ。

 

 

 


だがAqoursはどうだろうか。

 

1st,2ndと120%(数字の具体性に意味はない)の努力が必要ともいえる企画を立てて、150%の練習を重ねて、200%の本番が披露されてきたように思う。

今回のファンミに焦点を移そう。
まずこの半年のファンミシーズンは2期の放送とも重なるうえに各個人の仕事についても各方面で活躍があった。全公演を終えて1ヶ月後には函館ユニットカーニバルが控えている。
その中でAqours自身が言っていたように、本当に沢山の曲を披露してくれた。
既存の曲だから楽、なんてことは全くない。
たった半年にも及ばぬ期間で行われた1stライブと2ndライブ、すぐ次へのライブへとモードの切り替えが必要だった以上、1stでしか披露されていない曲を思い出すのは簡単ではないはずだ。しかも2ndの曲も更なるレベルアップのうえ披露されている。
一度の公演の曲数は当然多くはないが、選択式というその場での切り替えと、演らないかもしれない曲への準備までやってくれた。
会場毎に舞台に差があるなか、投票後にスムーズに次の曲のフォーメーションに変わる姿にリハーサル等での用意を窺い知れた。

このファンミを通して、Aqoursはいくつもの自分たちの曲を、コントールし得る持ち曲へと昇華させたような印象を受ける。
後で少し言及するが、歌やダンスにおける「遊び」の要素が2ndから更に進化し、自然で自由度の高い、その場における本人達の欲求がより反映されたものになっていた。
ファンミは9会場かつ各場所複数公演ということで、本番の数を重ねるという非常に重要かつ貴重な機会を得たことが大きい糧になっていると思う。これが経験値となりステージへの理解や勘が新たな段階へと至ったのではないだろうか。(そう思うと一体3rdではどれほどのものが見れるのだろうか……)更には本番での反省点をもって練習へのフィードバックを多く行われていたはずだ。

もちろん本番を重ねれば良いという問題ではない。十分すぎる練習があり、その成果をどう本番にぶつけていくか、にこそ経験の重要性があるわけで、溢れんばかりの積み重ねがなければ意味がない。

ともかく2017年に沢山の曲を披露したAqoursにとって、今回のファンミは1曲へ向き合う深さを強化するのに適した、十分に挑戦的な企画だったと思う。そして練習についても(例えばフォトテクの降幡さんのお話のように)個人の日々の見えない努力もはっきり分かるくらい、量も質もこれ以上なく行われてきたと感じる。

 

だがAqoursAqoursたる理由は、やはり本番にこそある。
ここまで完璧に仕上げてきたといえる企画と練習を、その用意をしたうえで更に本番で何かを越えようとパフォーマンスをするのだ。

本番にぶつけるホンキ、これは少なくとも私には簡単に理解し得るものではなかった。
熱量の凄まじさは当然知っていた、でも内に秘めるアツさはもっともっと、まるでフィクションの世界に存在するような情熱だった。

 


千葉公演の1日目に鈴木さんは怪我をしたという。2日目にはドクターストップに至るほどのものだ。
全く分からなかった。いつそんなことが起こったのか、気配さえ見えなかった。Landing action Yeah!!のソロ、足の痛みを全く感じさせないどこまでも伸びていく光の線のごとく美しい音だった。
2日目の昼公演、そんなことを微塵も感じさせないパフォーマンスだったという。
脳内物質が出ているにせよ圧倒的ではないだろうかと思う。無理して振り絞ると少なくとも音は相応に荒くなることが多い。そんな当たり前を越えるステージ、2ステージと少し、ライブではない、ファンミのライブ''パート''。これが最後じゃない。それでも我々に見せてくれた、1ミリだって後悔を残さないような、極限の姿勢のステージ。それを悟らせない、どこまでも楽しいステージ。

常々思うのだが、Aqoursのライブにおいては常に100%を約束するようなステージに、少なくとも私は重きを置いてはいない。
きっと私は、本番でさえ何かを越えようとする姿勢そのもの、そしてそこから生まれる200%のステージが、大好きでたまらないんだと思う。
できることをやって満足、ではなく、ここまでできるから次はもっと先へ、というのが本番にあるステージが、質の高いパフォーマンスと合わさって、
どこまでも我々の心を掴んで離さない瞬間が生まれている。

十分すぎる練習を積んでも現状に満足せず、本番でも殻を破っていく姿は、
常に貪欲かつ無謀で挑戦的な彼女たちだからこそ許され、そして魅力的に仕上げられるステージではないだろうか。
無茶とは違う、彼女たちはその資格があるとファンが認める、ステージ上での無謀さだ。そして挑戦する度に立ち塞がる壁を何度も超えてきたことを、我々よく知っている。
一般的に期待されるであろう100%のステージが約束されているような状態で、それでもなお、という熱量があるのだ。
今回千葉で披露されたのはどれも今までに何度も歌ってきた曲たちである。だが慣れた曲でもその慣れに安住して''普通''のパフォーマンスをすることはなかった。もう何度目になるかという舞台、そして勝手知ったる曲においても、何か予期せぬ一瞬があれば大事に至ることもある、そんな限界を攻めるステージに挑んでいる。

 


8人のステージ……9人いてこそAqoursというのは誰よりもメンバーが分かっているだろう。
事実、間違いなく9人のパフォーマンスとは別物だった。カタチ上のフォローはできても、鈴木さんの代わりは誰にもできない。
では千秋楽の公演はどうだったであろうか?
蓋を開けてみたら、我々は8人のパフォーマンスに熱狂した。それは決して鈴木さんへの思い遣りとか、そういったものではない。
Aqoursを観に来たファンを、彼女たちは8人で呑み込むというステージを生んだのだ。

私は今回比較的近く、かつ上方からステージを観ていたが、何度か舞台を見る焦点が定まらないときがあった。明らかに1人抜けた8人のフォーメーションが、それでも1つの有機体として大きく動くことがあったからだ。
スリリング・ワンウェイのラスト、いつも激しい動きを見せてくれるが、今回においては1人1人がなんと大きかったことか。1人のメンバーの気持ちも背負って、8人としてパフォーマンスする覚悟と情熱が今までとはまた違った炎を見せてくれた。

物語は大きい存在だ。でも、ライブにおいて全ての物語はライブに還元される。
我々が観ているのはライブだ。物語ではない。圧倒的なパフォーマンスこそが最大の説得力である。物語の役目はそれに文脈を与えることだ。
故に目の前のライブがどういったものか、こそ、運命を決める存在といえる。物語はライブというアウトプットのために語られる。

ともかく、少なくとも、あのとき多くのファンが8人のステージに没頭したのではないだろうか。練習とは全く異なるステージ、それをあそこまで圧倒的なライブとして実現させたのは、どんなときも挑戦し続けてきたAqoursの無謀さなのかもしれない。

 

 

最後に個人のパフォーマンスについて少しだけ。

高槻かなこさん、
Aqours CLUBや雑誌のインタビューで語ってきた「歌、ダンス、お芝居、トーク、全ての能力を高める」ということ。その片鱗を千葉1日目で感じた。
2ndから表情の作り方には惹きつけられてきたが、ファンミを通してバリエーションがさらに増え、今回は1つ1つのそれにリアリティが深くなった印象がある。より花丸ちゃんの気持ちと繋がったということだろうか。
そしてダンスの表情がとても豊かになった。1つ1つの動きが、顔とリンクし、感情を生み出していく。苦手としていた分野で振り付けを完成させる先へ、表現の1つとしてコントロールしているような印象を受けた。
歌、ソロのワンフレーズは圧倒的に完成されたワンフレーズ。音程、フレージング、音色、それらが響きとなって会場の色を変えている。千秋楽のハミングフレンドソロは、フレーズの揺れに本番でこんなことまでできるのかと全身に鳥肌が立った。
何より特筆すべきは、これらの全方位におけるレベルアップが、パフォーマンスとして1つに統合されていたことだ。
正直、ここからは各スキルがそれぞれ伸びて完成されていくんだろうな、などと思っていたが甘すぎる考えだった。「高槻かなこの世界」として新たな表現の次元を垣間見た思いである。
完璧な花丸ちゃんが待つのはこの先なのだろうか。ともかく定期的に間近でパフォーマンスを観たいと、激しく思う(まぁ叶わぬ夢なのだが)。

 

逢田梨香子さん、
最初は音楽についてどちらかというと不得意なイメージさえあった。
1stではその全てを払拭するような、本物の音楽を聴かせてくれた。
2ndではテンポや音程といった、音楽の基礎的かつ重大な能力についてかなり高いレベルに至っていることに衝撃を受けた。
そしてファンミでは、千葉1日目のハミングフレンドソロ、彼女もこれが本当に素晴らしかった。最近のレコーディングで顕著な想いの詰まった表現、これが、まさにCD音源というレベルで披露された。ついに音楽を自分のものとして表現するレベルで歌った姿に私は震えた。
Pianoforte Monologueでも思ったのだが、声優としての技術か、或いはストレートに言葉を発するご本人の性質だろうか、
歌声と感情のリンクが非常に強い方じゃないかと思う。まるで溢れた感情を紡ぐ言葉のような……そんな歌うことと特別な相性の良さがあるようにさえ感じる。
これから、もっと音楽を自分のものにしたとき逢田梨香子さんの歌はどれほどの力を持つのか。本当に楽しみである。

 


次は函館ユニットカーニバル。
アーティストの方向へと振れた楽曲を彼女たちがどう表現するか、また未知の世界へと連れて行ってもらえることを幸せに思う。