パラボラアンテナ

Aqous中心のブログっぽいなにか

世界を変えるということ

ラブライブ!サンシャイン!!2期6話『Aqours WAVE』の再放送があった。
個人的にだが、6話から7話の展開はサンシャイン!!で描かれたことのうち、「世界を変える」という点において象徴的に思える。
彼女たちが変えられたのものはなにか、掴めたものはなにか、或いはそうでなかったものは何だったか。その他このことについてフィクションで語られたうちに潜む真実は何か、など、2期を中心につらつらと垂れ流していきたい。

 

 

 


因果なき奇跡は起こらない

 

Aqoursの物語において意外とシビアだったのが努力や経験と、その結果の関係だったのではないかと思う。
例えば1期では結成して間もなくスタート地点に気づいたばかりのグループでは、パフォーマンスもスクールアイドルへの哲学も足りず東京でのイベントで良い結果を残すのは当然ながら難しい。全員揃ったばかりのグループでは簡単には決勝大会には出られない。
2期では因果関係自体もシビアだった。彼女たちがスクールアイドルとして頑張ったって経営が苦しければ学校は閉校を決める。
内浦という場所にある学校に対して中学生は志望校をそう簡単には変えない。
あるいはそう、いくら努力しても精神状態次第で、いやそれもまた関係なく、ミスが起こるときは起こる。パフォーマンスを完璧にこなすことのなんと難しいことか。
決して不条理ではない。しかし神様は簡単には微笑まない。

彼女たちに立ちはだかる壁とは我々が現実に直面する壁と変わらなかった。
特別な力を持たない普通の人たちは、何か大きなことを成そうとしたとき、現実という壁にことごとく阻まれる。
例えばそれは子供の頃にみた大人の事情かもしれない、大人になって知った社会というものかもしれない、あるいは才能かもしれない。

人間は頑張れる、でも、頑張った先で必ずその壁を超えられるとは限らない。

 

 

 

 

夢は消えない


初出場のラブライブで優勝して統廃合を阻止し、そして自分たちだけの輝きを見つける……
これが彼女たちにとって最初の夢だった。
2期早々に破れることになった夢なのだが、私は夢の最初のカタチが叶わなかっただけでこの夢が叶わなかったとは思わない。
おそらくそう考える人がほとんどだろう。
結果としてAqoursは大会に優勝したし、学校も大会の歴史に名を刻むことで永遠となった。千歌たちも輝きを見つけた。
どんな壁が立ちはだかっても足掻き続けて夢の灯火を消さず、ときに誰かに助けられて、そして遂に辿り着いた。
でも決してそれは超人的だったわけではない。どうしようもない壁を自分たちのやり方で壊したわけではない。
あくまで夢を消さなかっただけである。

 

 

 

彼女たちができたこと

 

さて、では夢を消さないとは何だったのか。
彼女たちがその歩みのなかで達成したことを考えてみよう。
味気ないがいくつか羅列すると、
・スクールアイドルAqoursの結成
・ピアノに再び向き合えたこと
・無理だと思ってることに挑戦したこと
・友達との長年のすれ違いを解消したこと
・0から再び挑戦しようと決心したこと
・友達にとっての自分に気づくこと
・最後まで足掻くと決めたこと
・互いの個性を受け入れること
・あらゆる手段を使って短時間の移動に成功したこと
・悲願のパフォーマンスに練習の末成功すること
・大会が終わっても自主的にライブを開きスクールアイドルを続けたこと
・閉校祭を成功させたこと
・勝ちたい理由を見つけること
・大会で優勝したこと
・輝きを見つけたこと
といったところだろうか。

きっと修正や補筆のご意見は多々あるだろうが、そこはまぁ今回は勘弁していただきたい。

さてここで達成できなかった統廃合阻止と比べると、達成したことは自分ないしは自分たちで完結することがかなり多い印象を受ける。
基本的に彼女たちは本当に手が届くところまでしか、何かを変えられていない。

 

 

 

 

世界の変え方

 

それでも彼女たちは夢を叶えた。キセキを起こした。輝きを見つけた。
特別な力を使ったわけでも、幸運な何かが起こったわけでもない。壁を全て正面から超えられたわけではない。それでも彼女たちは辿り着いた。

 

「無駄かもしれない。でも最後まで頑張りたい、足掻きたい。」
「テンポも音色も大きさも」「1つ1つ全部違ってバラバラだけど」「1つ1つが重なって」「1つ1つが調和して」
「私たち思うんだ。キセキを最初から起こそうなんて人いないと思う……だから、起こせるよキセキ。私たちにも。」
「これからもずっとダイヤさんでいてください」「わたくしはどっちでもいいのですわよ、別に。」
「まだ自分は普通だって思ってる?」
「じゃあ救ってよ!」「それだけが学校を救うってこと?」「この学校の名前を残してきて欲しい」
「じゃあ最後にしなきゃいいんじゃないかな!」
「だから新しいグループで違う雪の結晶を見つけて…」
「この雨だって全部流れ落ちたら、必ず星が見えるよ。だから晴れるまでもっと、もっと遊ぼう。」
「私たちの過ごした時間の全てが、それが輝きだったんだ。探していた私たちの、輝きだったんだ。」

 

彼女たちの世界の変え方、それはシンプルに自分の視点を変える、ということだったように私は思う。そうすることで大会に優勝し、学校の名を刻み、輝くという、夢の未来を掴んだ。
上記の例だけではない。サンシャイン!!においてターニングポイントになるような重要なセリフは、多くが彼女たちにとって新たな気づきをもたらすものであったはずだ。

もちろん平坦な道ではなかった。ある種9人の内浦の女子高生が叶えるには無謀な夢であったことは間違いない。でも彼女たちは壁に何度もぶつかるなかで、自分たちの視点を幾度となく進化させてきた。それはそう、大それたことを成すには十分なほどに。 

 

 

壁は依然として目の前にある、でもそれは果たして本当に超えなければいけない存在なのか?もしかしたら味方ではないか?あるいはその壁を壊せなかったとして夢を叶えることはできないのか?あるいは壁を超えるために必要なものはもう持っているのではないだろうか?

 

彼女たちは壁にちゃんと向き合ってきた。でも真っ直ぐ超えることばかりが大切なのではない。
統廃合阻止という壁を超えなくたって、視点を変えたら学校を救う方法はあった。
諦めなければ道は拓く。それはただ猪突猛進することではない。MIRACLEを起こすには我武者羅に練習するだけではなく、自分の力を信じることが必要だった。

何度阻まれようとも諦めず叶えようとすれば、見えていなかった道に気づくかもしれない。

新たな道は夢へと続く道かもしれない。

自分の世界が変わったとき、その手の中には客観的な世界さえ変える力があるのではないか。未来は変わるのではないだろうか。


見方を変える。世界の映り方が変わる…夢が叶う世界へのジャンプ。もう一度頑張る。結果が変わる。夢に近づく。


自分と向き合うこと、仲間と向き合うこと、そこに大切なヒントが隠れている。

 

諦めない、とはなんだろうか。
私は端的に「頑張る余地を見出すこと」がその1つではないかと思っている。視点を変えることと表裏一体の関係にある。
メンバーの個性が強くバラバラという問題、無理にどちらかに合わせることはできなかった。ここにもう頑張る余地はない。
でもチームとして結束を高めることは諦めない。視点を変える。雨水が落ちる音のようにバラバラでもバラバラのまま重なって1つなれることに気づく。無理に合わせずそのまま一緒に頑張ればいい。目標は達せられる。
普通の人間は夢に向かうとき、何度もつまずく。でもまた先に進もうともがいたとき、自分が変われば新たな道が見える。何度もそうすることで、心のどこかで憧れていた誰かにやっとなれる。
最初からできる自分である必要なんてない。

 

人それぞれ才能も性格も経験も違う。だからこそ他の人ができた方法で何かを成す必要なんてない。自分ならばこそ頑張ることができるやり方を見つけること。まだ間に合う方法を見つけること。私たちなら達せられる道、私たちだけの道……いつか辿り着いたとき振り返ればそこにある私たちだけの輝き…………

 

 


Aqoursの道のりは漠然と我々の勇気を奮い立たせる。それは何故か。
きっと特別じゃないことの積み重ねだからだ。
それは私たちの人生においても変わらない。夢があるなら、その夢の本質を知り、そして壁にぶつかったら、自分なりの超え方を見つければいい。努力の余地がある道を探せばいい。叶えたい夢のためにひたすらそれを繰り返すのだ。千歌ちゃんの言っていたキセキはあるいはその先にある達成ではないだろうか。
必要なのは、夢中になれる最初の輝き、そして叶えるまで道を探し続ける勇気、我々の胸にもあるその勇気だ。

 

 


語るということ

 

「語る」即ち「物語」とは何か。
・千歌はスクールアイドルになった
・浦の星の統廃合が決まった
Aqoursラブライブて優勝した
これは事実の列挙である。

 

これを語ってみよう。
スクールアイドルになった千歌は学校を救おうとしたが、あと一歩及ばず浦の星の統廃合が決まってしまう。しかしその先に自分たちだけの道を見つけたAqoursラブライブで優勝することで学校の名前を刻み、浦の星を救った。

 

少しは物語らしくなったか。

 

抜き出す情報を変える。
スクールアイドルになった千歌は学校を救おうとしたが、あと一歩及ばず浦の星の統廃合が決まってしまった。千歌はラブライブへの意欲を失ってしまった。

 

こうすると当たり前だが全く別の話である。

 

あるいはAqoursの優勝したラブライブは他のスクールアイドルにとって敗北の物語だ。

当然のことをつらつら述べてしまい恐縮だが、
つまるところどの視点でどんな結果に向かって語るかで事実の意味合いは変わってくる。
historyとはstoryだ。
歴史はご存知の通りどの立場で話すかで同じ出来事の意味合いが全く変わってくる。

 

WONDERFUL STORIESに至るには、彼女たちは1つでも何かを諦めてはいけなかった。悲願のゴールに至ったとき、そこから軌跡を語るとき、その道は輝きとなる。キセキの物語になる。

梨子ちゃんの2期最終話での、進んできた道の正しさを証明する、とは全てのことにキセキの完成をもって意味を与えることかもしれない。
1期最終話の起こること全てを受け入れて楽しむとは、全てに意味を与えて、全てが輝きの物語になることに必要な条件にも思える。

 

 


こんなことを考えていると、私はこの物語に奥行きを与えているキャストの力を感じる。
全員が全員それまで順風満帆であったわけではない。でも夢を諦めず、ここならとラブライブという可能性に手を伸ばした。そこに今のメンバーだけの道があった。

 

ほとんどのキャストが新人という状況で臨むラブライブ!という大きな大きなコンテンツへの挑戦。
等身大では決してない、広大な海へと泳いでいくような無謀な挑戦。
でも彼女たちも自分たちだけの道を必死の努力の先に見つけてきたのではないかと思う。それはAqours1人1人が、抱いている夢にAqoursでなくなった後も向かって行く、それぞれのキセキ。

 

 

ラブライブ!サンシャイン!!とは夢を消さなかった彼女たちが紡ぐ、消えない夢の物語だ。