パラボラアンテナ

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花は咲く

おそらく、『花は咲く』という曲を多くの方はご存知なんじゃないかと思う。
岩井俊二氏作詞、菅野よう子女史作曲の東北の復興支援ソングだ。

 

私は趣味柄この曲とはよく向き合うことがあったのだが、まさか東北を離れてWake Up, Girls!のライブで聴くことになるとは正直思っていなかった。

 

 

 

 


アイデンティティを増やすということ

 


私は2015年から3年だけ秋田に住んでいた。
あまり大きな声では言えないが、実は仕事上の話でありつつ私から希望して配属させてもらった。
特段震災がどうのとか、そんな理由ではない。
ただ、高校時代に私は全国的に有名な秋田のとある吹奏楽団の演奏を聴いたとき、非常に大きな衝撃を受け、それ以来密かに憧れ続けていたのである。

 

しかしその後はそれを強く意識することもなく、数年を過ごした。

 

私の場合は大学入学付近に震災があったわけだが、大きな話題は太平洋側で、それと新しい環境にいっぱいいっぱいだったこともあり、特に秋田を気にかけることはなく遂に大学生活の3年を終えることになった。
4年目、というより3年目の終わりくらいだが就活が始まる。まぁ音楽を続けたいという欲求を優先してそれが叶う業界を見ていたのだが、はっきり言って入ってみないとその会社のことなぞ分かるはずがなく、絞ることができなかった。
そんなわけで微妙に身が入らないある日、各社のパンフレットを眺めていると、ある会社の支社が秋田にあることを知る。
音楽をどこで続けるか決めてなかった私は、通用するか分からないけど続けるならいっそと、いつか憧れた楽団に入るべく就職先をそこに決めた。

 

吹奏楽団は地元に密着した活動をすることも少なくない。その団にいたからこそ、県内の様々なところに行ったし、様々な年代の方々と交流することになった。
秋田の歴史は実体験を含めて様々なことを聞いたし、昨今の地域事情や、地区ごとの方言の差、県民歌、県民の歌、民謡、様々な土着の音楽に触れた。
下手な地元民より秋田県民してると職場の地元の方に言われたくらいのアイデンティティをそこで得ることになったのだが、自分としてもどうしても「自身で選んだものかどうか」ということにこだわりのある性格もあって、短い時間ではあったが第2の故郷として生まれ育った場所より愛着を持つようになった。

 

結果として県内でも秋田の文化の担い手としてのアイデンティティを持ち、県外に対しては県の代表として文化を紹介する立場になった以上、その意識は必然だったのかもしれない。

 

それでも私は秋田の歴史を体験してきたわけでもなければ、それによって育てられてきたわけでもない。
どこまでいっても言うなれば部外者なのである。

 

 

 

 

 


・秋田と震災

 

 

秋田の人から震災の話を聞くと大抵の場合「こっちはそうでもなかった」と返ってくることが多かった。
たまたまそういう方々が周りに多かっただけかもしれないので、全体の傾向は分からない。
ただ、やはりなんとなく関東出身の人間としては、東北六県の連帯を感じる言い方だったのを覚えている。

 

そんな私が初めて秋田県民として震災と向き合うことになったのが『花は咲く』であった。
吹奏楽団と小中学生の合唱とのジョイントコンサートに声がかかってのことだった。
実は私は恥ずかしながらこの曲をそれまで知らず、初回の打ち合わせに向けて必死に準備をしたのだが、シンプルゆえに非常に大きな力を持った曲だなという印象だったのをよく覚えている。
亡くなった人の視点で紡がれた歌詞、あなたの傷が癒えますように、そして100年経ったらなんのためにどんなきっかけで作られたか忘れられたらいいと作られた曲………

 

部外者の私に実感はない。
歌うのは震災をよく覚えてない子どもたち。彼らにも実感は少なく先生方も苦労されていたのをよく覚えている。
でもやはり無理に感情を込めろというのが無理だ。
もしかしたらそれこそ傷が癒え始めなのかもしれない。復興支援でありながらも詠み人知らずで残り続けるような歌詞とメロディの力をなんとなく、子どもたちの歌い方から感じたのだ。

私自身も非常に悩んだ。でも、まだ、やっぱり今は復興の歌であると、そう解釈した。
大人の我々はやはり新しい記憶として覚えていなければいけない、同じ時間を生きた人がいる、と思ったし、逆に我々がそういう考えだからこそ子どもたちは無理に想像してそれに抵抗感を覚えて欲しくなかった。
なんというか、まだどこかに残る傷痕を見つけたとき、それに気づくきっかけになればと思った。
或いは東北六県という括りにおいて、身近な存在になるはずだった同胞が伝えられなかった気持ちをそっと汲み取ってあげられるようになって欲しいと思った。
別に昔を敬えとかそんなことを言うつもりはなくて、でも自分と同じ誰かが生きていたことは自分の人生を考えるにあたってもやっぱり重要なことで、
「わたしは何を残しただろう」
というフレーズを歌うのは、年齢関係なく意味のあることなんじゃないかと思った。
まぁともかく、日本海側に位置する秋田は震災に対して少し当事者から離れていた。

 

幸運にも宮城の人たちによるこの曲の演奏に触れることもあった。
それが優劣の話ではなく、ただ小中学生がとても大きな声で歌っていたのが印象的だった。特にやはり宮城の方々は自分たちの歌、という意識があるのだろうか。
彼らが歌っている亡くなった方の想いは、もしかしたら家族の想いなのかもしれない。
私の知り合いにも宮城福島出身の人はいるが、前向きで、しかもそのことで自分を特別扱いすることがない彼らの苦労を私は知らない。

 

 

 

 


・A ce qu'il y avait

 

部外者の私にとってこの曲の存在は青天の霹靂だった。
世界的な作曲コンクールで2位を受賞した国内を代表する作曲家の1人、長生氏の吹奏楽曲である。
「ありしものへ」を意味するこの曲は、ともかく難しい。技術的にとんでもなく難しい。
でも作曲家はこう言う「この曲を楽譜通り演奏するというのにも大変な苦労がいることでしょうが、それどころではない苦労を生きるために強いられている人がいることを思い浮かべるとき、演奏しつつ心に響くものが生まれる」と。
言うなればこの曲は、苦労を体験し、更にその先にあるそれどころでない苦労を想像したとき力を得る作品ということだ。
この哲学は、部外者として震災に触れることになった私に何か大きなヒントを与えたのだと思う。


結局、ありきたりな答えかもしれないが、我々は体験していない災害について、想像し心に留めることしかできないのである。
それぞれの人生に大変なことがあって、でもそれとはきっと別次元の困難……それを自身の苦労を元に想像するのは矛盾したことかもしれない。
でも、それをきっかけにすれば、我々は自身の苦悩を元に、想像つかないような苦難に向き合う人たちがいることに気づくことができる。

 

 

 

 

 

 

Wake Up, Girls!

 

今日Wake Up, Girls!のライブで、花は咲くの音楽とともに東北、そして仙台への想いが映像として綴られていた。

 

それが私個人に何を要求するものかは分からない。

でもあの映像を通して、震災あるいは東北との自分の関係を改めて考えることができた。


震災の未だ残る影響を知っても、我々はすぐに何かできるわけではないし、誰かの苦しみを理解するのは難しい。
でも、こうした経験を通してその事実を留めておくことに意味があるとそう信じている。
部外者は部外者だけど、自分の体験を通してその先のことに気づけていれば、未来の自分の行動が変わるかもしれない。
我々にできることは少ないけど、でも必要としてくれる人たちがいるかもしれない。
あるいはそれは将来思わぬ災害に見舞われた自分がとる行動の変化になるかもしれない。

 

決してWUGのパフォーマンスはそれを常に表現するものではなかった。全曲のテーマをそれにしてるわけではないのだから当たり前である。
でもその姿の先には東北という存在が見えて、それ故に部外者であるファンを1つの当事者にしてるように感じた。

 


彼女たちは東北出身のメンバーで集められたわけではないと聞いた。
でもアイデンティティとは文化の血である。
花は咲くを歌うことに全く嘘がない彼女たちに、私は東北のアイドルの姿を見た。

 

 

彼女たちに私が興味を持ったきっかけは、東北イオンでタイアップとして店内で流れているHIGAWARI PRINCESSだった。
東北でWUGを知り、そして東京に来て遂に参加できたWUGのライブでこうして東北を思い出している。代え難い体験だ。

 

 

 


解散が来年の冬に迫っているという。
それでもWUGとの思い出がファンと東北を繋いで、なにか未来を変えるのだろう。
初心者としては、なんとなく、そう感じた。