パラボラアンテナ

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残された者たちは〜『ラブライブ! サンシャイン!!The School Idol Movie Over the Rainbow』に寄せて

劇場版ラブライブ!サンシャイン!!を観た。
とてもサンシャイン!!らしい素敵な作品だった。

私は常々ラブライブ!サンシャイン!!は内省的な作品だと思っていて、その要素は非常に部活的だった。
自分たちの住む街の魅力を見つけるのに悩み、東京のライブでは支持者を得られず今後に悩み、μ’sという偉大な先人の輝きと自分たちを比べて悩み、
2期でも大会敗退からの再始動に悩み、大会と学校説明会に悩み、自分たちらしいパフォーマンスに悩み、学校を救えなかったことに悩み、
何より自分たちだけの輝きとは?というテーマをずっと追い続けた。
彼女たちは都度足掻いて、自分たちを変えることで世界を変えて、遂に輝きとは何か分かるに至った。

悩みにぶつかり、それを高校生が自分たちなりに精一杯乗り越えていく姿、
自らのパフォーマンスがどうすれば良くなるのか同世代の仲間と考え、そしてそれらの積み重ねの先にそれぞれの勝ちたい理由が見つかるのは、私個人としてはとても爽やかな部活の青春そのものに思えた。

 

そして部活には大きな節目がある。それこそが劇場版で描かれた代替わりだ。

多くの部活は最高学年が精神的にも能力的にも支柱となっている(これは身体的な成長や3年間という限られた期間における1年間の大きさ等からくるものだろう)場合が多く、
特に人数が少ない部活であればそういった存在がいなくなった直後はより今後の在り方に悩むだろう。

また、よく現実においても文化活動であれスポーツであれ「○○高らしさ」という言葉を耳にする。それを支えていた3年生が抜けたとき残された学年は果たして「らしさ」にどう向き合えばいいのか。
この「らしさ」がそのチームの強みであり伝統でありアイデンティティであることは特段疑うつもりもないのだが、果たしてそれはどこでどう醸成されていくのだろうか。あるいはどう受け継がれていくのだろうか。
別にこの問題に答えはない。共通するところやヒントになるところはありつつも、それぞれ分野や学校によって指導者なり練習メニューなり目指す方向性なりオーダーメイドな解答があるだろう。


劇場版ラブライブ!サンシャイン!!はスクールアイドル部として「らしさ」に部活的に悩む、
そんな物語の側面が強かったように私は思う。
序盤で、実績のある「部活」の代表として、「活動報告会」に参加したことで今の自分たちの不安や悩みに気づくに至った。
代替わりした数ある部活の1つとしてスクールアイドル部は問題に直面し、物語は進んでいく。

 

 

 


・旅立つ者たち

 

イタリアにおいて3年生との短いやりとりから千歌は「Aqoursらしさ」へのヒントを得た。
ただ個人的にイタリアで描かれたのは、
卒業する者たちの「部活への総括」でもあったように感じる。
それは鞠莉の「スクールアイドルは全うした」という言葉や、Aqoursとしての活動は「自分を育ててくれた、全部私の一部」といった主旨の発言に現れている。

あの言葉は本当に今部活を頑張る高校生への卒業生からのメッセージとしてとても美しかった。
ともすればその道に進まない多くの人たちにとって部活を頑張る、大きな実績を残す、それが何の意味になるんだろうと思うときがあるかもしれない。履歴書だけ考えれば3年間勉強に打ち込んだ方が良いように思えるかもしれない。
或いは禁欲的に過ごす人を見て、苦しみこそあれ好きなことを頑張るだけでいいのか、と後ろめたさを感じる人もいるかもしれない。
そんな不安や悩みに、好きな部活を頑張った卒業生が人間が大人に対して自信を持って誇らしさと、それが間違ってなかったと口にする。
これがどれほどこれからまだ部活で過ごす現役生を肯定したことだろう。

確かに部活を頑張って得られたものはその人の今後のプロフィールに載るものじゃないかもしれない。
でも確かにそれは今の自分を育ててくれた重要な時間であり、そして全力で駆け抜ければこそそのことに後悔なんて全くないのだ。


イタリアでのライブは去りゆく卒業生の、打ち込みそしてやり切ったスクールアイドル部の活動がびっくりするくらい楽しくて、今の自分を作り上げたかけがえのないものだったと、そう後悔のない青春への想いや自負が根底にあったシーンでもあったように感じた。

古都の面影を現在に多分に残すイタリア。それでも人の営みは変化していく。
それは歴史がちゃんと残され、そのうえで変化も受け入れて栄える今を形作っているという点で、3年生が今までの人生における高校生活を総括する地としてとても相応しかったのではないだろうか。

 

 

 

・残された者たち

 

イタリアから帰ってきた1,2年生が至った答えは「その時間は無くならない」ということだった。
あのときの記憶があるから、自分たちは6人になっても「Aqoursらしく」いられる。そんな視点の変化であった。
3年生がいなくなってとり残された6人ではない、彼女たち9人が必死になって掴んだAqoursらしさを残された託された6人、これからも続く変わらぬ新しいAqoursなのだと思う。


他のスクールアイドルのことはほとんど分からないが少なくともAqoursは夏頃にようやく9人揃ったユニットである。
そしてAqoursのイメージをある種のピークに持っていったのがラブライブ決勝であったはずだ。
聖良が6人のAqoursを決勝大会のときと比べてAqoursらしさという言葉を使って評価し、本人たちもそれを抵抗なく受け入れていた。

彼女たちの事情においては、1年に満たない期間で積み上げた自分たちらしさとはまさに優勝時のステージそのものであり、
自分たち以外にそれを担保してくれる伝統もなければ指導者もいない。そして9人のアイドルユニットである以上メンバーの匿名性は限りなく低い。

そう考えたときに、6人のAqoursが先に進むに当たって「Aqoursらしさ」を失わない、今までのことを無かったことにしないために、彼女たちに必要だった気づきが「Aqoursの活動は自分たち自身であってその全ては心に残っている」ということだったのはとても腑に落ちる。
彼女たちが経験してきたのは今のAqoursの全てなのだから。


スクールアイドル部というのは部活においてとても特殊であることは違いない。
チームとメンバーは不可分の存在であり、各メンバーの集合こそがチームである。
年度が変わる毎に今までのユニットはどうするのかスクールアイドルは常に向き合うことになるだろう。
解散か継続か、継続と一口にいっても新規加入はなく徐々にメンバーは少なくなりいつか解散するのか、或いは新メンバーを入れてある学校のスクールアイドルの普遍的な名前とするのか。
解散だってその後各メンバーは新たにスクールアイドルユニットを組むか、活動自体を終えるか選択肢は1つじゃない。


今作のAqoursの物語は、その中の1つの選択肢選んだ女子高生が、その選択に対して本当の意味で納得するためにどのような答えを見つけるかでもあった。
それ故に序盤で6人で続ける理由は深く語られることはなかったのだろう。

どの選択肢が正解だなんて存在しない、でも決めたなら彼女たちは答えを見つけなければいけない。

 

 

 


・理亞の物語

 

理亞のケースはSaint Snowを解散したうえで新たなユニットを始めるという選択であった。
思い入れが強い故に解散し、思い入れが強い故にその影を追ってしまうことは決して珍しいことではないだろう。
彼女は決勝大会の延長戦と姉の言葉で、その影を吹っ切り次へと進むことができた。
おそらくストイックさは変わらないし、周りの人の意識も変わるわけではない。
でも彼女の覚悟が変わったとき、きっと世界も変わったのだろう。あのときより世界を優しく見れるようになったから、世界は彼女に優しくなる。

 

Believe again、前回優勝を逃したSaint Snowが今回こそ優勝を掴むために作ったパフォーマンス。
2人が活動した1年間、一度敗退しつつそれを受け入れて再び信じる、できる、ここからまた始まると決勝大会で伝えるために生んだ曲。
それが、Saint Snowを解散して新たに旅立たんとしてる理亞にピタリと符号した。
自ら奮い立たせるようであり、姉からのメッセージでもあった。

楽曲自体は強烈なキックに今までにないディストーションが印象的で、Saint Snow楽曲においてもかつてなくハードな音楽。
メロディも綺麗に歌うことより力強く叫ぶような方向のつくりだったような印象が残っている。
歌詞は彼女たちの曲のなかで最も自分に対して肯定的で未来を強く見据えたイメージを感じたのに対し、サウンドは甘さを削りとったかなり厳しいもので歌詞とは一転攻撃的。
妥協することなく戦い続け、ひたすら強く強く走ってきたSaint Snowの沢山の傷が、それに負けなかった彼女たち自身に再び未来を信じる強さを与えているようだった。

あの音楽でパフォーマンスできることこそがSaint Snowの、聖良と理亞それぞれの強さの証明なのだ。

 


大きな大きなかけがえのない経験を大切な姉とした理亞は、それを糧にまっさらな新たな部活を始める。世の中にはそういうスクールアイドル部も間違いなく存在する。
スクールアイドルはAqoursだけじゃない、理亞のケースはそんな1つの選択をした少女の青春の物語。

 

 

 

 

・3年生という存在

 

1,2年生が自分たちで答えを見つけないと意味がない、それを3年生も理解していた。

Aqoursの3年生はイタリアのホテルでのやり取りで1つのきっかけを与えたが、一緒に悩むということはしなかった。

一方聖良は、転校案を出したりと妹へのコミュニケーションでは唯一不器用なところを見せていたが、大会決勝で伝える予定だった自らの気持ちを最後はしっかりと口にし、ようやく理亞も姉の想いを知った。
それでも深く語られなかったが、それに納得し新たに歩き始める道をしっかり見出したのはあくまで理亞自身であったはずだ。


部活の上級生がいて、後輩と色んな関係がある。
それでもこれからスクールアイドルを続ける後輩を想い、自分たちしかできないやるべきことをしっかり果たしてるのが素敵だった。

 

 

 

こうした部活ならではの人間関係やそれぞれの覚悟を背景に、スクールアイドルは明日も輝く。
誰かが憧れる。